しかしこうした振る舞いはジャーナリストという肩書とは矛盾を生む。面白ければいい、視聴率があればいいという考え方は深刻な問題を「数字が来ないからやらない」と公言するまでになってしまった。

完全にフィクサー気取りではないか

 さらに言うなら、番組で人気を得た田原氏は次第にフィクサーぶりを売りにするようになった。

 たとえば次の記事だ。

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『安倍首相 田原総一朗氏の「政治生命かけた冒険を」に関心』(毎日新聞2017年7月28日)

 当時の安倍晋三首相が首相官邸で田原総一朗氏と面会したことを伝えている。田原氏によると「政治生命をかけた冒険をしないか」と提案したところ、安倍氏も関心を示したという。

 笑ってしまうのは次だ。

《田原氏は記者団に具体的な内容は明かさず、「中身はそのうち分かる」と語った。》

 当時の報道では安倍首相に北朝鮮訪問を提案したという説が濃厚なのだが、「ジャーナリストとして、国民に話してほしい」と記者に尋ねられると田原氏は「ぶち壊しになる。相手のある話だから」と答えていた。完全にフィクサー気取りではないか。

田原総一朗氏 ©文藝春秋

 元テレビディレクターがジャーナリストとしてテレビ番組を当て、権威をどんどん獲得していく。番組の大御所として大事にされる。政治家たちは田原氏を敵に回したくないと一目を置く。キャラとしての猛獣使いが本当に猛獣たちに忖度されるようになった。

 で、今回の「あんな奴は死んでしまえと言えばいい」発言だ。そもそも大声で威圧するという田原氏のやり方は古くなり、見ていてしんどくなった。時代に取り残されている。高市首相を「あんな奴」と言ってしまうのも、かつて「朝生」に高市氏が出演していて自分が育ててやったという思いもあるのだろう。傲慢さ、古さ、醜悪さが密集している。

 さて、猛獣となってしまった猛獣使いの首に誰が鈴をつけるのだろう。最後のショータイムである。20年遅いと思うけど。

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