ホテルまでのタクシーでひと悶着
亡くなる直前まで雑誌に連載していた『一私小説書きの日乗』では、単行本化されている7冊その他に、芥川賞受賞直後の2011年3月から2022年1月までが網羅されているが、このうちの『日乗 憤怒の章』の「平成24年6月27日 知人上京。夕方から合流し、浅草にて寄席を聞き、バッティングセンターに寄ったのち、鮨を食べる」「6月28日 昨日の知人とまた夕方から合流し、東京ドームで日本ハム対楽天戦のナイターを見る。そののち、鶯谷まで出ばって『信濃路』で一献」というのが、初めてのデートである。
初日、東京ドームのホテルに部屋を取ってくれてあって、待ち合わせ場所の礫川公園からホテルまでタクシーで、ということになったが、私は断った。「こんな距離、勿体ないから歩いていこうよ」と言いながら、その実、お腹のほうが心配だったのである。
暑くてとても歩けない、と言うけんけんに、じゃぁ私は徒歩で、けんけんはタクシーで、別々に行ってはどうかと食い下がるも、彼のほうではどうやら「西村賢太がチェックイン、その後に女が入室」みたいなのを嫌がって、どうでも2人揃ってゆきたかったらしく、結局一緒に乗る羽目になった。私が「お先にどうぞ」と言う前に、すかさず言い慣れた様子で「先に奥、行ってくれっかい?」と言われた。腰痛持ちなのだった。車寄せに着くと、私は這這の体で、タクシーを転がり降りた。
その後、浅草へ行って、バッティングセンターへ行きたいと言ったのも私で、ここならお腹のことを忘れていられると思ったからだ。野球少年だったけんけんが、一球もこぼさず見事に打ち返すのは、見ていて気持ちよく、傍でワクワクした。
そこを出てからだと思うが、浅草の商店街のおもちゃ屋さんみたいなところで、スカイツリーを模した、ちょっと馬鹿馬鹿しくなるような電飾ボールペンを買ってくれた。今でも持っているが、台に立ててスイッチを入れるとピンクだの紫だのに妖しく光るやつで、確かあれで3000円かそこらはした気がする。そんなの要らないと言うのに、「いんだよ、使いてえんだ、金」と言って聞かなかった。
この後も、確かどこか、ぱぱすだったかのドラッグストアへ寄って、けんけんが小瓶の風邪薬のようなのを飲んで空き瓶をすぐとレジの人に引き取ってもらっていて、初めて見るこのシステムが珍しくてけんけんと何か話した気がするのだが、この時も、要らないと言うのに「持っとけよ」と言って、私にルルの小瓶を買ってくれた。
浅草には「寄席の後、藤澤淸造の告別式の総代もつとめたほどに淸造とゆかりのあった久保田万太郎の、その生誕地に立つ石碑を拝んでからのお寿司屋さん」という、「久保田万太郎コース」と呼んで度々『日乗』にも登場させていたお決まりのルートがある。けんけんはこれを恋人連れで巡りたかったに違いない。確かにお寿司屋さんに行く前に「久保田万太郎生誕の地」へ連れて行ってはもらったが、当時は藤澤淸造にすら今ほどの親近感がなく、全く知らない作家の石碑など見せてもらったとて、ここだけの話、実はそう有難みを感じなかった。