2022年2月5日、私小説家の西村賢太さんが54歳でこの世を去った。それから数年後、かつての恋人が「けんけん」こと西村さんとの関係について綴る決心をしたのは、彼のこんな言葉に背中を押されたからだった――「自分の人生に責任、持てよ」。

 ここでは、西村さんが亡くなるまで個人的な付き合いがあったという小林麻衣子さんの『西村賢太殺人事件』(飛鳥新社)より一部を抜粋してお届けする。小林さんの地元・岡山で始まった5年弱の同棲生活。そこで2人はどんな生活をしていたのだろうか。芥川賞作家の意外な素顔とは――。(全3回の3回目/続きを読む

西村賢太 ©文藝春秋

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半同棲生活のスタート

 手帳に書き込んだメモによれば、初めて作ったのはシャウエッセンを入れたポトフとハンバーグで、それから岡山名物、鰆のお造りを出したようだ。ポトフは、セロリが不評で「もう二度、使うなよ」とのお達しが出た。茗荷が嫌いなのは知っていたのだが、他に、クレソンや芹も嫌いだと言っていた。合い挽きのハンバーグのほうは気に入ってくれて、カレーと共に、滞在中、1回は所望される定番メニューとなった。

 Netflixのまだない時代で、12月26日にはTSUTAYAへ行って、『鬼畜』『太陽の墓場』『病院坂の首縊りの家』を借りている。私は日本映画はほとんど観たことがなかったので、こうしたチョイスが新鮮で、芥川也寸志のBGMが少々喧しいとは思ったが、演技にも、今の人とは違う胆力と迫力が感じられるようで、成る程、いいものだなァ、食わず嫌いはいけないなァ、と思った。と、まぁ、私の感想などはどうでもよくて、時折挟まれる彼の解説や感想を聞けるのが嬉しくて仕方なかった。

 部屋は、他に8畳の和室があり、ここで寝てもらうことになった。確か一度は布団を並べてみたが、余りの大鼾と、IBS(編注:過敏性腸症候群)からくる緊張とで耐えられなくなって逃げだした。怖がりのけんけんは一人で寝るのを嫌がったが、あの轟音を浴びて寝られるのは酔っ払いぐらいのものだろう。私が毎日晩酌のお相伴でお酒も飲むようになったのは、このためでもある。

 この大鼾は東京のホテルで寝ていた時から知っていたが、本当にどうしたものだろうかと悩ましかった。ご本人は無呼吸症候群を気にして、「ちょっとでも静かになったら、起こしてくれな」などと言っていたが、それでは私は一体、いつ寝ればよいのか? 

 狭いマンションで、けんけんの布団から対角線をとって一番離れた、リビングの角っこ、東を向いた窓際にアイマスクと耳栓を装備の上で横になってみたとて、全くの焼け石に水で、1つも役に立ちはしなかった。射撃用の、ヘッドフォン型の遮音器をAmazonで買って、成る程、これは流石だとは思ったが、就寝用には作られていないから当然、寝返りが打てず、花魁じゃあるまいし、と早々に洗面台の下の引き出しに放り込んでしまい、今に至る。

 この8畳が、ファンにはお馴染みの「布団に腹這って書くスタイル」のけんけんの仕事部屋にもなったのは割とすぐのことで、けんけんもお道化て「わしの部屋じゃ」と呼んでいた。