「あんたでええわ、あんたで」

 痛風になったりもするので、岡山で出掛ける時は窮屈な革靴は履かず、イトーヨーカドーで買ったオジサンスリッパをパタパタいわせていた。最初それを見付けた時、「これ、買ってもいいかい?」とか「これで一緒に出歩いてもいいかい?」とか訊いてきたが、大陸的な私は、そういうことは全く気にしなかったので、「全然、いいよ」と返した。

 靴下にもアンダーシャツにも定番があって、靴下は薄めのグレーのリブソックス、シャツはU首の半袖以外に見たことがない。ヨーカドーやホームセンターなどで見付けると買い置きしていた。

 ファッションと云えば、うちへはテレビでお馴染みのカーゴパンツにチェックシャツでしか来たことがなかったから、作中で有名なかのゼロハリバートンのアタッシェケースというのには、一度もお目にかかれなかった。青いようなグレーのような確かspaldingのリュックは、芥川賞を受賞してから買った、というのは聞いた。確か、韓国へ行く時に、と言っていたように思うのだが、このリュックは東京、岡山間の移動に加えて、毎日のサウナへも下着を入れて、持って行っていた。亡くなった日、ケンタッキーのフライドチキンが入っていたというのも、これだったのだろう。

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 私としては笑いの感覚も似ていたし、人間関係の不満でも何でも話せて馬が合っていたとの思いはあるが、付き合ってくれた一番の理由は、それはやはり、けんけんがこちらでも仕事できたことだろう。岡山への道中は、気分転換もでき、もしかしたら何かアイディアの浮かんだこともあったかもしれない。地方都市の広々とした空の下で息抜きもしつつ、無職で腐る程時間のあった私が生活をけんけんに全振りしてやれて、尚且つ宿泊費は不要、運転手付きの車まであるとくれば、これはもう、都合がよくて仕方のなかったことだろう。

西村さんが『痴者の食卓』に書いてくれたというサインには「麻衣子へ 末永く頼むぞ」の文字が 筆者提供

「あんたでええわ、あんたで」

「でって何なん、でって?!」

 晩酌中、テーブルの下で足を蹴飛ばしてやったものだ。でれでれと慢心しきった彼を見られるのは冥利に尽きた。

「俺、家事は一通り、できんだよな。一人暮らし、長えからよ」

 こう、肩越しに言われたのは、確か、私がお皿を洗っていたからだ。

「そうだろね(でもそれだと無職女の立つ瀬がなくなっちゃうんスよねぃ……)」

 洗濯だって掃除だって、潔癖症のけんけんのほうが、だらしない私などより余程きれいにできたろうに、自分は仕事だけして、何でも私の好きにさせてくれた。料理だって、特に不味いだとか、口を出されたことがない。ただ、そうだ、チェックのシャツの、特に襟の部分の皺をしっかり伸ばしてから干すようにというのと、洗い物が済んだ後のスポンジは洗剤の泡を残さずきれいにしろということは、言われた。

「泡付けたまま流しに置きっぱなしにする奴、いんだよな」と。本当はもっと色々、口を出したいこともあったのではないか。