「禿げてるか禿げてないかで云うと、どっちだ」
そうだ。私は、床屋と裁縫ができた。
「今日ぐらい、そろそろ、つまんでくれっかい?」
帰京の前々日ぐらいになると、人見知りで散髪屋の苦手な彼が言うのだ。
「おーい、いいかい?」
夜中、体を洗い終わったけんけんからお声が掛かると、私は、稲垣潤一の曲を仕込んだCDラジカセを洗面台の脇にセットし、ハサミ、手鏡、新聞紙、時計などの入った小さな盥を抱えてお風呂場へ入ってゆく。カランのある壁には縦幅60センチ程の横長の鏡があって、大きく開いた股を抜かりなくタオルで隠したけんけんが、なるたけ鏡に寄って座っているが、それでも狭い湯殿を占領している。白髪染めが散ってもいいように黒い服を着た私は、蟹歩きだ。
湯船の蓋の上を新聞紙でしっかりカバーしてから、盥を置いて床屋道具を広げ、髪を切り、染めてゆく。耳周り、特に上の耳朶で抑えているところの毛が硬くて、地肌に垂直に立って生えていて、切りにくかった。右側はまだマシだったが、左側は難しかった。
襟足は、シックの3枚刃。「おい、首、切るなよ。切るなよ?」「切らないよ」時々上背にもビヨンと長い毛が伸びていたので、ついでにこれも剃った。今ではこの剃刀で、私が膝下を剃っている。鋏は普通のやつと梳き鋏とがあって、どちらもダイソーで買った。
毎回、禿げの話題になった。
「てっぺん、禿げてんだろ」
「そんな、禿げてないよ」
「禿げてるか禿げてないかで云うと、どっちだ」
「禿げてないと云えば噓になるね」
「じゃあ何パーセント、禿げてんだ」
「むずかし!!!」
「じゃあ、禿を10とするぞ? そうすっとどのくらい禿げてんだ」
「……」
プッシュ式のヘアカラーで染める段になると、頭頂部の細った毛に、黄色い泡が丸い粒になって付いた。オールバックにすると格好良かったが、上田馬之助だった。そう言ってやると、
「お前、なんで知ってるんだよw」
「なんか、男子が言ってたから。小学校ん時かな」
因みにけんけんは、プロレスには全く興味がなく、話しているのも見ているのも、ついぞ目にしたことがなかった。最後、排水口に溜まった髪を大まかに集めてビニル袋に入れると、私はいつも、つげ義春の『無能の人』に倣って「これ、何かの役に立てらんないかなァ、世界平和とか」と言って笑わせることにしていた。今なら「SDGsとか」などと言うだろう。それを持って洗面所へ出て、稲垣潤一をかけてやる。それを聴きながらけんけんは染まるのを待ち、シャンプーして、壁に白髪染めが散ってないか点検してシャワーを掛けてから、湯船に浸かり、上がってくるのだ。