ジャケットにお別れが言いたかった

 針仕事のほうは、ズボンのお尻ポケットのフラップを取るのと、冬場に着ていたジャケットのボタンが取れそうなのを直すのを、頼まれた。カーゴパンツのお尻ポケットの蓋は、まだテレビの仕事をしていた頃、そこに何か入れるのに邪魔になるから取ってくれと言われたからだが、ヨーカドーで新しいのを買って丈を少し詰めてもらうと、今度は私のお直しの番だった。何度か、やった。フラップを取って、最初から何も付いていなかった風に、ポケットの縁をまたステッチしなおすのである。

 ジャケットのボタンのほうは、取れかけていたり、ボタンの付け根の生地が破れかけているのを繕ったものだ。今では私も老眼で、とてもではないが針仕事はキツい。

 没後、誕生日に合わせて東京で開かれたお別れ会には遺品も陳列されるというので、もしもこのジャケットにお別れが言えるならゆこうと思って編集者の方に問い合わせたが、亡くなった時に着ていた物は全て病院で処分されたとのことだった。衣類は、東京で部屋着にしていた黄色いパーカー以外は、クローゼットにあったものなども全て処分したそうだ。

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 後に仄聞したところによると、実際には形見分けのようにして靴をもらった人もいるらしいので、これはもしかすると、私に来てほしくなくてああ言ったのか? と、お得意の邪推、被害妄想をしてしまった。返信が来た時、バイト先の植物園の外便所にいて、2つ並んだ男子用便器の右側のほうを泣きながら拭いた。猛暑で来園者のないのをいいことに、涙も洟も出るにまかせた。

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 この続きは『西村賢太殺人事件』(飛鳥新社)からお読みいただけます。

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