認知症を発症した母の介護が、気づけば7年に及んでいた。月30万円の年金とわずかな貯金を切り崩しながらの生活は、常に赤字。外出もままならず、母を一人にできない日々に、精神的にも限界が近づいていた。

「このままでは共倒れしてしまう」――そう悟った48歳男性がした決断とは……。御厨謙氏の新刊『キャバクラ店員へとへと裏日記』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

写真はイメージ ©getty

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 僕はすぐさまドラッグストアに行って紙おむつを買って、風呂で母の体をきれいにしてから紙おむつをはかせ、ベッドもきれいにして寝かしつけました。

 今から振り返れば、母はこれ以前から認知症の兆候(物覚えが悪くなったり、出来ていたことが出来なくなったり)があったため、日頃から料理は僕が作っていたのですが、まさか排泄にも障害が出るようになるとは思ってもいませんでした。

 うかつだったと後悔しました。

再就職をあきらめて、母の介護に従事する

 僕はホームヘルパー二級(高齢者や障害者の訪問介護に必要な知識と技術を持つことを証明する公的資格)を持っていました。

 たまたま前に勤めていた会社が週休二日制だったので、会社に了解を取って週末に特別養護老人ホームでアルバイトをしていた経験があるため、おむつ替えや入浴はできるから助かりましたが、何も知らない普通の人だったらひどく戸惑ったと思います。

〈とにかく母をなんとかしなくちゃ〉

 その後、病院で診察してもらい、正式に認知症と診断が出たところで、区の福祉関連の相談窓口に連絡すると迅速に対応してくれました。

 まずは介護認定(介護が必要な状態であることを認定し、公的サービスを受けられるようにする)を行なった上で、

・朝晩の訪問介護=朝と晩にヘルパーが自宅に来て、入浴などの介護をしてくれる
・週三回のデイサービス=通所介護。日帰りで施設に通って、介護をしてもらう

 が決まりました。これでひとまず安心です。

 しかしデイサービスも時間が短く、朝晩の訪問介護も短時間なので、僕は再就職をあきらめて母の介護に従事することにしました。

 我が家には父の残した遺族年金と母の年金があり、合計で1カ月に約30万円入ってきていたので、節約すれば親子二人暮らしていけるだけのお金は何とかなったからです。

〈認知症の母を一人にしておけない以上、僕が付きっ切りで介護するしかないよな〉

 普通であれば、働き盛りの僕の年齢で、仕事をせずに、家に入ることには抵抗があるのかもしれません。

 ただ失業中の当時の僕は、とりあえず仕事がないのだから、母の介護を優先させても良いだろうと考えたのです。それが今まで僕を育ててくれた最愛の母に対する恩返しであるような気がしました。

 これが7年にも及ぶ介護生活の始まりでした。