倍賞美津子の手料理を囲んだ日

栗栖 俺は猪木さんを家まで送り届けていたんだから、そりゃありますよ。たまに倍賞さんがつくったメシを一緒に食わせてもらったりもしたからね。

――倍賞美津子さんの手料理もご馳走になってましたか。

政代夫人 この人、手料理だけじゃなくビールも飲んじゃうんですよ。

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栗栖 そんなもん、猪木さんも飲むんだから飲みますよ(笑)。

――その後、栗栖さんはクルマで帰られるんですよね?

栗栖 クルマじゃなきゃ帰れんからね(笑)。

――まあ、当時はそういう時代でしたからね(笑)。

栗栖 でも、一度も事故起こしたことないからね。安全運転だから。

――初期の新日本において、倍賞美津子さんはファンにとっても若い選手にとっても女神みたいなところがあった気がしますけど。

政代夫人 やっぱりオーラが違いましたよね。でも、あの人もざっくばらんなんですよ。まったく気取らない人で。スターの人って、一般の人やファンの人がいるようなお店には行かないじゃないですか。たとえ行ったとしても個室だったり、裏口から出たり。でも、美津子さんは猪木さんと一緒にご飯を食べに行くと、わざわざファンの人たちがいるところに行って、周りに話しかけたりもするんですよ。ものすごくざっくばらんで。

倍賞美津子 ©文藝春秋

栗栖 気取った人じゃないんだよね。あんな人も珍しいよな。

政代夫人 私らがよく行く店にも、猪木さんと美津子さんのサインが入ったお皿が飾ってあるんですけど。たぶん、いろんなお店に二人のそういうサインがあると思いますよ。

“猪木の側近”アピールはしない

――猪木さんと倍賞美津子さんの寄せ書きサインなんて、ものすごいお宝ですけど、ご本人たちは快く応じてくれてたんですね。

栗栖 倍賞さんもいい人よ。だから、猪木さんが亡くなる晩年まで付き合いがあったんじゃないの?

政代夫人 何度かお見舞いに行ってたっていう話ですもんね。

――やっぱりそうだったんですね。栗栖さんは、そういった猪木さんのプライベートまで知る側近中の側近だったにもかかわらず、猪木さんの弟子だとか、自分がいかに近い存在だったかということをことさらにアピールすることがないですよね。普通、そういうのってアピールしがちじゃないですか。

栗栖 俺は全然しないよ。言ったことないもん。俺は猪木さんに新日本に入れてもらったでしょ。だから俺は人間としての筋を通しただけよ。おべんちゃらするために俺はやったわけじゃなくて、筋を通すためにちゃんとやったつもりだよ。だからべつに悔いも残らないし、それは俺が当たり前だと思うしさ。でも、猪木さんに付けて幸せだったと思うよ。

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