アントニオ猪木の死去から約3年。「プロレスは最強の格闘技である」という信念のもと、猪木は所属選手に本物の強さを求め続けた。7人の元レスラーが「“過激なプロレス”の舞台裏」を語り尽くした書籍『アントニオ猪木と新日本「道場」最強伝説』(宝島社)より、鈴木みのるの証言を抜粋してお届けする。(全3回の3回目/最初から読む)
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付き人時代はレスラー人生の財産
猪木の付き人を務めた数カ月間の鈴木の記憶は鮮明だ。自身のプロレスラー像を形成するうえで、きわめて重要な時間だったと語る。
「昭和最後の新日本で、短い期間ながらも猪木さんの付き人をやらせてもらえたのは、俺にとって本当に財産。猪木さんからは、いろんなエキスを勝手に吸い取らせてもらったよ。もちろん猪木さんが俺に教えてくれたこともあるけど、基本的には勝手に盗んでいたね。
まず、セコンドとして試合中の猪木さんの表情から細かい動きまで観察する。タッグマッチでも試合自体なんか観ちゃいない。ずっと猪木さんだけを観ているから。あとは入場、退場する時の猪木さんの姿とか、あとは夜中に道場に来た時のトレーニングや、ちょっとした会話だったりとか、そういった猪木さんが自然に発する“ヒント”をできるだけ見逃さないようにした。
そうやって身近で接していると、猪木さんの個人練習の合間に、ちょっとずついろんなことを教えてくれたりもしたんだよ。『試合中、こういう場面になった時、お前だったらどうする?』とか、『この瞬間、俺が何を考えていたか、お前、わかるか?』とかね。あの時教えてもらったことで、今でもずっと大切にしていることはたくさんあるよ。具体的には言えない、完全な企業秘密だけどね。
少しだけ話すと、当時、20歳だった俺にでも、その日から使える猪木式の観客の目線の集め方、盛り上げ方っていうのを教わった気がします。
それを実際に前座の第1試合でやってみると、『たしかに!』っていうことが山ほどあったんで。これは財産だと思ってます。で、この猪木さんに教わったことを他の人に話しても、『そんなの知らない。習ったことがない』って言うんで、俺は『ラッキー!』って思ってね。まあ、猪木さんの気まぐれですよ。
べつに猪木さんが俺のことを買ってくれてたというわけでもなく、付き人として四六時中まとわりついていたから、たまにぽろっと教えてくれていただけでね。でも、俺にとってはそうやって身近で学べる環境にいたことが大きかった。だから俺が強い影響を受けたのは、昭和の新日本道場というよりも取り巻く環境だったのかもしれないね」

