観客を驚かせ、喜ばせることを仕事とするプロレスラーは、話を正確に伝えるという意識がそもそも稀薄である。長い間プロレスの取材をしていると分かるが、「酒豪」「エビスコ(大食い)」「トンパチ(非常識、無鉄砲)」「怪力」「セメントの強さ」など、ファンが喜びそうなエピソードは思い切り脚色し、大げさに伝えるのが普通であり、それが良いことだと思っているフシさえある。

 この、良くも悪くも「事実を無視して語る」という選手のメンタリティは、本来、取材の大きな障害になるはずなのだが、業界メディアは選手の発言内容を精査したり検証したりすることはあまりない。そのため、プロレス界ではまったく真実とは異なる話が「事実」として語られているケースが珍しくない。昭和プロレス史で屈指のエピソードとなっている「熊本・旅館破壊事件」もその例に漏れない。

 その意味で言えば、今回、取材に応じていただいた当時の旅館の主である梅村健児さん(70)と里美さん(64)夫妻には、話を誇張する動機がまったくない。30年以上前のできごとゆえ、記憶から消えてしまっている部分も多々あるとはいえ、はっきりと覚えていること、うっすらと記憶していること、推測として言えることをそれぞれ誠実に振り返っていただいた。

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 それでは、事件当日の回想を聞いてみよう。(全3回の2回目。#1から読む)

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「旅館破壊事件」の現場「松の家旅館」若主人の話

「プロレスの選手が泊まるのは初めてじゃないですよ。この騒動があったかなり前ですけど、アンドレ・ザ・ジャイアントって選手がいたでしょう。彼もウチに泊まってます。布団を2つ並べて敷いてね。ちょうど地元で開かれる地区の運動会があって、アンドレもそこに来たんですよ。みんなでこうして見上げたのを覚えてます」

「人間山脈」アンドレ・ザ・ジャイアントも伝説の旅館に宿泊していた

 首を上に傾けながら当時を振り返るのは、旅館破壊事件の舞台となった「松の家旅館」の若主人だった梅村健児さんである。

 松の家旅館は戦前に創業された老舗で、当時は先代主人と女将(梅村さんの両親)、梅村さん夫妻、それに数人の女性従業員だけで切り盛りする、家族経営の旅館だった。

道路に面した7階の旅館入り口。現在建物は使用されていない

 7階建ての旅館は、海に面した崖に沿って建てられており、細い道路に面した最上階の7階がフロントで、6階が40畳の大広間、5階から2階が客室、そして1階が温泉の浴場となっていた。宿泊客が出入りできるのは基本的に7階のみ。エレベーターはなかった。