新日本プロレスから『焼肉がしたい』と相談が
松の家旅館については、1987年2月に刊行された新日本プロレスのオフィシャルマガジン『闘魂スペシャルvol.31』において、「ケロ」こと田中秀和リングアナがこう書いている。
「今日の旅館は温泉。うれちいにゃんと思ってたら、これまたすごい。7階建てなんやけど、崖っぷちにあってフロントが7階や。しかもエレベーターなし。せまく、急な階段のみ。社長や坂口さんは5階だからええけど、ケロなんて2階だよ、部屋が」(「ケロの新日本プロレス奇行」)
記述そのものは正しいが、このコラムではこの日の騒動のことがまったく触れられていない。当時の時代状況では、新日本の本隊とUWFが一緒に酒を飲んでいたということ自体、ファンに明かすことはできなかったと思われる。
「あの日は、貸し切りで宿泊する新日本プロレスから『焼肉がしたい』という相談がありました」(健児さん)
これは初めて聞く話である。当日夜の宴会は「ちゃんこ鍋」だったと証言していた選手もいるが、次の証言は具体的で明快だ。
「食材や飲み物はすべて自分たちで用意をするから、肉や野菜を焼く台を用意してくれということでした。しかし、当時ウチにはそのような設備がなかったもので、近くの『福田農場』から、畳の上でも使える焼肉台を5、6台借りてきたんです。幸い、彼女(妻の里美さん)の実家がガス屋さんだったもので、小型のプロパンガスのボンベを運び込んで、焼肉台を6階の大広間に設置してもらいました」(健児さん)
「組長」こと藤原喜明と大量の食材を買い出しに
福田農場は旅館からほど近い観光農園で、「湯の児スペイン村」という名でも親しまれている水俣の観光スポットのひとつである。食材はどのように調達したのだろうか。
「ああ、この人です。思い出した」
取材の際、資料として持参した当時のプロレス雑誌を広げてみせると、健児さんはある選手の写真を指さした。当時はUWFの一員だった「組長」こと藤原喜明だった。
「試合が始まる前に、この人と一緒に、クルマで市内の『寿屋』に行って、肉や野菜などの食材を買ったんです。とにかくものすごい量で、スーパーの人も驚いたと思いますよ。ちょっと覚えていないんですが、そのとき、一升瓶の焼酎なども買ったんでしょうね。私たちはお酒も用意していませんでしたから」
寿屋は当時、九州全域に展開していた大型食品スーパーである。水俣市は鹿児島県との県境にあり、地元では芋焼酎が好まれるという。代表的な銘柄は「島美人」。熊本は「馬刺し」が有名だが、「あか牛」と呼ばれる牛肉も名産品のひとつである。