人生で最初に志望した職業がプロレスライター。専門誌に異様に長い原稿を送りつける中学生だった水道橋博士。立命館大学でプロレス同好会RWFを旗揚げ。リングアナとして自らの声を響かせた快感が忘れられず芸人の道に迷い込んだユリオカ超特Q。そして、プロレスラーになりたくてプロレス同好会RWFに入るという回り道を経て新日本プロレスに入門。人気復活の先頭に立った棚橋弘至。

 プロレスに魅せられた男たちが文藝春秋に集結。そこで繰り広げた超ディープなプロレス談義をお届けします。(後編はこちら

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ユリオカ どうも、ユリオカ超特Qです。

博士 「猪木さんがいなくなった新日本プロレス」状態のオフィス北野にいまだおります、水道橋博士です。

ユリオカ そういえば、新日道場にあった猪木さんの肖像看板を外したのが棚橋さんだっていう説がありますよね。今日は博士が深いところまで突っ込んでいくと思いますよ。

 ということで参りましょう、「新日本プロレス100年に一人の逸材」、棚橋弘至選手の入場です!(大歓声)

じつは立命館大学の先輩・後輩

棚橋 はい、100年に一人の逸材、棚橋です。今日は、おでこ出してみました。

ユリオカ ぼくもおでこ出してますけどね。

ユリオカ超特Qさん、棚橋弘至選手、水道橋博士さん。会場の文藝春秋には、平日夜にもかかわらず多くのファンが詰め掛けた ©文藝春秋

棚橋 悪意はないです(笑)。

博士 みなさん、ユリオカと棚橋さんが、立命館大学の先輩・後輩っていうのは知ってました?

ユリオカ しかもプロレス同好会、サークルも一緒なんですよ。

博士 棚橋さんには、ぼくのメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』で執筆していただいてますけれども、執筆者のひとり、吉本でタレント活動もしている角田(龍平)弁護士も、棚橋さんの大学時代の同級生なんですよね。

棚橋 英語のクラスで、隣の人と英語で会話してみましょうと言われたときに、「My hobby is pro-wrestling」と言ったら「Me too!」と返してきたのが彼です。

「勉強もできるんです!」

博士 何がすごいって、大学1年生のときに「自分の趣味はプロレスだ」と語っていた人が、4年後に本当に新日本プロレスに入門するわけですよ。法学部出身のプロレスラーですよ。

法学部出身プロレスラー、棚橋選手のツイッターは@tanahashi1_100 ©文藝春秋

棚橋 勉強もできるんです。

ユリオカ みなさんご存じだと思いますけれども、棚橋選手はすべて自己評価でのしあがってきた方ですからね。まず自分で自分を褒めてみせて、ファンにそういうものなのかなという印象を植えつけるというスタイルを築かれた方ですので。

棚橋 詐欺師みたいな言いかたはやめてください(笑)。 

博士 ユリオカはプロレスラーになりたいとは思わなかったの?

ユリオカ ぼくはどちらかというと古舘(伊知郎)さんとかにあこがれて、プロレスの実況アナウンサーになりたかったですね。あとはプロレス雑誌の仕事ができたらな、とか。

博士 オレはアニメの『タイガーマスク』を見て、自分は本当はみなしごで、将来はプロレスラーになって、今のお父さん、お母さんに恩返ししたいという妄想をもってました。小学校2〜3年ぐらいのとき。棚橋選手は小学生のころは何になりたかったんですか?