——その時からビジュアル系バンドですか?
魅影 高校のときは周りはロックが好きだったので、ブルーハーツのコピーとかでしたね。ビジュアル系は高校を卒業して美容師の専門学校に入ってから。SNSのビジュアル系サークルで東京のバンドマンから「一緒にV系のコピーバンドをやりませんか」って誘われて1回ライブに出たんですよ。そうしたらビジュアル系のドラマー人口って少ないからいっぱい誘われるようになって、活動が広がっていきました。
——いずれ農家を継いで欲しいと思っている長男がビジュアル系になっていくことについて、親や周囲の反応はどうでしたか?
魅影 お母さんはちょっと嫌がっていましたね。高校時代から全く勉強しないでドラムばっかりしていて、専門学校も本当は音楽をやりたかったんですけど反対されて。それで手に職をつけようと思って美容師にしたんですけど、卒業が近づいてきた時に「やっぱりバンドをやりたいから就職しない」って学校に伝えたんです。そうしたら親に連絡が入って、「こんな子に育っちゃった」ってお母さんは泣いてました。それで家族会議になりました。
——進路で家族会議、修羅場です。
魅影 その頃には実は両親がもう離婚していたんですけど、家族会議にはお父さんも来てくれて「好きなことして後悔ないように生きろ!」と応援してくれました。お母さんも就職しないでバンド活動をすることに一応納得してくれたんですが、泣かれたのは罪悪感があったので美容室で働きながらバンド活動もすることになりました。
「深夜に『お父さんが倒れてる』って電話がかかってきて…」
——バンドと農業の兼業が始まったのはいつ頃からですか?
魅影 10年前ですね。お父さんが45歳で亡くなってしまい、自分が継ぐことになりました。
——45歳は早いです。
魅影 脳出血が原因で、本当に急でした。ちょうど稲刈りの時期で、自分はバンドのツアーが終わって電話で「今日戻ってくるの?」「ツアーが終わったところで疲れてるから明日の朝に帰るね」みたいな話をしました。
そうしたら数時間後、深夜におばあちゃんから「お父さんが倒れてる」って電話がかかってきて。急いで帰ったんですけどもう心臓が止まっていて助からなくて……。血圧が高いぐらいで全然元気に過ごしていたんですけど。

