シリアルキラーによるどんな猟奇的な連続殺人事件も、ヒグマによる食害の凄惨さに比べたらかすんでしまう
私自身、この事件をモデルにして書いた『シャトゥーン ヒグマの森』(宝島社)という小説で十年ほど前に作家デビューしている。新人賞受賞を目指す作品で、なぜこの事件をモチーフにしたのかというと、人間による過去のどんな殺人事件を調べても、この三毛別ヒグマ事件の前にかすんでしまったからだ。シリアルキラーによるどんな猟奇的な連続殺人事件も、このヒグマによる食害の凄惨さに比べたらかすんでしまったからだ。
戦前の高専柔道の流れをくみ旧帝大の七校だけに伝わっている寝技中心の七帝柔道をやるために私が北海道大学へ入学したのは、一九八六年(昭和六十一年)、二十歳のときのことである。
自伝的小説『七帝柔道記』(KADOKAWA)にかつて書いたように、きっかけは愛知県立旭丘高校時代に名古屋大学柔道部員に入部勧誘を受けたことだった。
あれを読んだ方に「どうして名古屋大学ではなくて北海道大学を選んだんですか」とときどき聞かれるが、その理由こそ、北海道大学ヒグマ研究グループ(略称クマ研)の存在にあった。
このクマ研は一九七〇年代、北海道大学の学生たちによって設立された任意団体だ。簡単にいってしまえばサークルのひとつなのだが、この団体が長い間かけて世界のクマ研究界に果たした功績は計り知れない。農学部、水産学部、理学部などのさまざまな学部を横断し、当時ほとんど知られていなかった野生ヒグマの生態をフィールド調査中心に行っていた日本唯一の団体だった。
私が二年間の浪人生活の間に参考書より繰り返し読んでいたのが、井上靖が高専柔道にかけた青春を綴った自伝的小説『北の海』(新潮文庫)と、この北大ヒグマ研究グループの共著『エゾヒグマ~その生活をさぐる』(汐文社)である。
執筆者一覧を見ると当時のクマ研のメンバーが十数人並んでいる。この名前を私は浪人時代に繰り返し見ては、いつかクマ研が二冊目の本を出すときにはここに自分の名前が記されるのだろうかと胸を高鳴らせていた。当時の北大は入学時に理系文系など大まかな区分けで教養部に所属し、そこで一年半過ごしたあと希望の学部学科に進むシステムだった。しかしクマ研のメンバーのうちの少なからずがヒグマに没頭するあまり留年を繰り返して教養部に長期滞在していたのも、ヒグマの魅力を間接的に知る証となった。
この本の執筆者一覧のうち何人かの名前と当時の所属をここにピックアップしてみよう。
・間野 勉(教養部)
・園山 慶(教養部)
・山中正実(水産学部発生学遺伝学教室)
・宇野裕之(農学部応用動物学教室)
・松浦真一(水産学部浮遊生物学教室)
・坪田敏男(獣医学部家畜臨床繁殖学教室)
・綿貫 豊(大学院農学研究科応用動物学教室)
この人たちはいま何をしているのか。
私のなかで浪人時代の青春の記憶と現在が繋がったのはつい数年前のことだ。別件で知床半島のことを調べていて、たまたま山中正実さんが知床財団統括研究員としていまもヒグマの研究をしていることを知り、会ったこともないのにメールで「僕は山中さんたち当時のクマ研に憧れて北大に入りました」と送ったら返信が返ってきたのだ。三十年近く前に書籍で憧れた人が、現実にいて、現在もヒグマ研究に関わっているということに感動した。
そして実はヒグマに近い職業に就いているのはこの山中正実さん(現在は斜里町立知床博物館館長)だけではなかった。ためしにネットで検索してみると、間野勉さんは北海道環境科学研究センター主任研究員兼野生動物科長、園山慶さんは北海道大学大学院農学研究院准教授、宇野裕之さんは北海道環境科学研究センター道東地区野生生物室長、松浦真一さんは北海道新聞社編集委員、綿貫豊さんは北海道大学大学院水産科学研究院教授、坪田敏男さんは北海道大学大学院獣医学研究科教授、全員がヒグマの研究や保護、その生態の啓蒙などに携わることができるポジションにいる。
こうして彼らがヒグマに近い仕事に就いているのは実はたいへんなことである。たとえば何百人もいる北大柔道部OBのうち卒業後も柔道や格闘技の仕事に就いているのは、中井祐樹(現在日本ブラジリアン柔術連盟会長)と山下志功(プロ修斗世界ライトヘビー級元王者)の二人しかいないのだから。読者の皆さんも自分のまわりを見まわしてみてほしい。大学時代は同好の士と集まってそれぞれ音楽をやったりスポーツをやったり探検をやったり政治活動をしていたはずだが、大学時代のサークルの世界をそのまま仕事にしている人はほとんどいないだろう。みな卒業時に夢を捨て、自分の背丈にあった日常に還っていくのだ。
