東京のセツの家に突如現れる

結局、チエの後ろには藤三郎がぶら下がっていて、やはりセツの仕送りを頼りに暮らしていたのである。

前掲書には次の記述がある。「セツの母のチエは、家老の娘として育ち、上士の奥方であった。そして、新しい社会への適応が困難な年齢で、性格強固な夫を失ったのである。彼女は、いわば極端な零落に至るすべての条件を満たしていたと言えるであろう」。

それは上士(上位の武士)自身も同じだった。家禄を食む生活に慣れていた彼らは、明治政府から就業を促され、多くは安易に私財のすべてを事業に投じたり、いわれるままに投機したりした。しかし、周囲には老練な商人や詐欺師が渦巻いており、そういう連中との駆け引きや詐欺行為から逃れる方途は彼らにはなかった。

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そういう両親のもとで純粋培養された藤三郎のような子息も、同様だった。

東京の市ヶ谷富久町で暮らしていたセツは、明治32年(1899)12月20日、三男の清を出産した。それから半年余り経った翌明治33年(1900)7月、セツたちの家に突然、藤三郎が現れた。

「何故腹切りしませんでしたか?」

セツは前述のように藤三郎と絶交状態にあったが、やむなく書生部屋に寝起きさせたという。ただし、ハーンには内緒だった。しかし、すでに名ばかりであるとはいえ、小泉家の本家の戸主である藤三郎は、内緒で寝起きさせてもらっているという処遇に耐えきれなくなり、20日ほどしてハーンの前に姿を見せた。

だが、ハーンには藤三郎が許せない理由があった。藤三郎が先祖代々の墓を売り払ったと既述したが、ハーンはそのことに衝撃を受けていた。東京に出る前に松江に帰省した際、ハーンとセツは、セツの実父が眠る小泉家の墓に詣でようとしたが墓がない。そこで、墓所であった善導寺に尋ねると、「あれは倅さんが売りなさいますた」といわれたそうだ。

前掲書にはこう書かれている。「藤三郎に向かったハーンは、『あなた武士の子です。先祖の墓食べるの鬼となりますよりは、何故墓の前で腹切りしませんでしたか?』と、顔面を蒼白にして怒った。藤三郎は、その日のうちに発って、再び顔を見せなかった」。

それから16年経った大正5年(1916)、戸籍の住所から遠くない空き家で、藤三郎が死んでいるのを管理人がみつけたという。45歳だった。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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