そのような考え方の背景には、名優と呼ばれるようになっても謙虚だった、自分を見つめるまなざしがあったのだと思う。

「役者というのは、役者向きの天賦の才があるか、運がいいか悪いか、どれだけ自分で勉強できるか、この三つなんです。私に持って生まれたものがあるかどうかはわかりません。運がいいかもわからないですよ。ただ勉強は自分でできるわけで、それしかないですね」

仲代達矢が生涯を通してこだわり続けたこと

 その一方で、声とセリフの強さについては、現役の自負をのぞかせていた。仲代さんの評価を決定付けた映画『人間の條件 第1部純愛篇/第2部激怒篇』(1959年)の小林正樹監督は、主役に抜擢した新進俳優の魅力を〈目もさることながらセリフのうまさにはおどろいている〉(『週刊サンケイ』1959年2月8日号)と当初から指摘している。

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「私がセリフにこだわる理由は基本的にラジオなんです」と仲代さんは言った。

「ラジオで聞く講談、浪花節、それから落語、漫才を含めて、小さいころから音として声を聞いてきました。だから音が非常に大事なものだと思って育ってきたわけです。それはいまだに変わりません。いまの若い人たちは、音をあまり気にせず、気持ちだけを中に込めようとするのでセリフが出てこない。無名塾では、自分と話している相手、それに観客の三角形を大事にしろといつも言っています。それにはセリフの強さがやはり大事ですね」

 声に関する逸話で有名なのは、同じ小林正樹監督による1962年の映画『切腹』だ。物語は庭先で切腹したいと申し出る、仲代さん扮した浪人の男と、三國連太郎さんが演じた屋敷の家老との緊迫した会話からなる。その撮影中に、ふたりの名優は声を巡って衝突した。

 

「私が白洲の庭先に、縁座敷に三國さんがいて、それで物語が続いていくわけですけど、それだけ距離があると声が聞こえないんです。三國さんには『舞台と違い映画にはマイクがあるんだ』と言われましたが、私は耳に手を当てて『ちょっと聞こえませんけど』と言ってしまった」

 それをきっかけに論争がはじまると、小林監督は「じゃあやっといて」と言ってスタッフを引き連れ飲みに行き、スタジオに残された仲代さんと三國さんは納得できるまで議論をくり広げたという。