「おめでとうと言わずにここを去るわけにはいかない」

 シリーズは最終第7戦までもつれ込んだが、紙一重の敗戦を喫したブルージェイズのジョン・シュナイダー監督の弁も悔しさを押し殺した知的なものだった。

 彼は試合後の会見で「自分たちの野球はできた。彼ら(ドジャース)は確かにいいチームだけど、僕はこのチームの26人、世界中のどのチームより誇りに思う」と自軍の選手らを称えたうえで、席を立つ寸前にこう言い足したという。

「デーブ(ロバーツ監督)とドジャースにおめでとうと言わずにここを去るわけにはいかない。(中略)自分たちが最後まで勝ち残れなかったのは残念だが、デーブとそのスタッフ、そしてチームの皆に心から祝福を送りたい。素晴らしいワールドシリーズだった。ありがとう」

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 これらはデイリースポーツなどのネット記事から引用したが、目撃した記者も感動で胸が一杯だっただろう。〈語り継がれるであろう歴史的なシリーズとなった〉と書いている。

 熟練した記者たちまで感激させるのは、相手がWシリーズの監督や、特有の明るさを持つアメリカ野球だからではない。日本でも鮮烈な言葉を持つ監督やコーチたちがいた。ただし、日本野球の場合はその言葉や激励術がなかなか表に現れない。黙して語らないのが美徳、という湿った風土があるからだろう。

巨人軍監督が大学ノートに残した知られざる日記

 私には忘れられない監督が2人いる。いずれにも望みをかなえてあげられなかった。

 ひとりは、わずか2年で辞任した堀内恒夫巨人軍監督である。2005年10月5日、東京ドームの辞任会見場に2人で並んだときのことはいまもはっきりと覚えている。言葉は短く、「敗軍の将、兵を語らず」と彼は締めくくった。私には「これから大変だな」とつぶやいた。

 堀内監督は私より2つ年上で、巨人で203勝を達成したⅤ9時代のエースである。若いころから「小天狗」と呼ばれ、「ぶっきらぼう」と叩かれていたが、「少欲知足」を信条とし、与えられた戦力で戦うことを美徳としていた。

 補強論者ではない監督は、球団フロントが効果的な編成とチーム運営で支えなければならないのだが、代表2年目の私は未熟で、前任の原辰徳監督から引き継いだ大艦巨砲打線は次々に怪我で脱落した(その反省から育成への転換は始まっている)。

「小天狗」と呼ばれた堀内恒夫監督 ©時事通信

 彼の欠点は、原監督に比べ記者あしらいが無骨なところで、身内のスポーツ報知記者からも足を引っ張られた。しかし、私は彼が大学ノートに残した日記を垣間見て、自分の言葉を持つ廉直な人であることを知っていた。

 堀内監督は巨人が2004年、優勝の最後のチャンスをかけ、4.5ゲーム差で臨んだ落合博満監督率いる中日との一戦をこう記している。

〈9月7日 対中日 天王山で選手は動かず。大型打線の弱いところである。点差が少ないと投手が耐えられなくなってしまう。今年の負けるパターンである。

 こんなときに悪い試合内容では、今季は終了したかもしれない。もっと自分を平気で出す、そんな力が出ないと勝てない。

 大事な負けである〉

 その翌年の春季キャンプの折に覗かせてもらった堀内日記の文字は、女性が書いたように細く、ひと文字ずつ置いたような丁寧さだった。自分の首をかけたような試合を〈大事な負けである〉と客観的に表現できる指導者なのだ、と私は思った。『記者は天国に行けない』にも書いたが、驚いたのはそれ以外も選手に対する注文はあっても、悪口のような記述は全くなかったことだ。