読売新聞の社会部記者として、長年スクープを報じてきた清武英利氏。その後、巨人軍の球団代表に就くも、2011年に「読売のドン」こと渡邉恒雄氏の独裁の非を訴え、係争に。現在はノンフィクション作家として活動を続ける。

 そんな清武氏が、約50年にわたる波乱万丈の記者人生と現代の記者たちの奮闘を描く『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)を刊行した。

 今回は清武氏が読売新聞を追われ、収入を失った後、61歳でいかにして再起することができたのか、その過程を綴った「特別読切」の第4弾を公開する。

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ロビン・ウィリアムズが出演する青春映画を観て

 ラテン語などかじったこともないが、「カーペ・ディエム(Carpe diem)」という言葉だけは知っている。「その日を摘め」という意味だという。

「いまを生きる」という米国の青春映画で、教師役のロビン・ウィリアムズが生徒たちにこう叫ぶ。

「バラのつぼみは早く摘め。ラテン語で言うならカーペ・ディエムだ。今を生きろ。人生をつかめ」

 そのころ、巨人軍の球団代表だった私は、巨人のコーチ人事やワンマン経営をめぐって、読売新聞のドン・渡邉恒雄主筆と対立し、解任されていた。職場を追われ、収入を失ったのだから、裸一貫でやり直さなければならない。

「読売新聞社と全面戦争になるんだ」とドンに投げつけられた言葉の通り、片手に余る訴訟に6年間追われた。会社側に立つかつての仲間たちと争わざるを得ず、身過ぎ世過ぎに追われる。ジャーナリスト感覚が鈍らになっていただけでなく、61歳を過ぎて、何のためにどう生きるかについても悩むようになっていた。

 あのころの、のたうち回っている様は、拙著『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)の後段に記したが、私は「今日は死ぬのにとてもよい日だ」と独り言を呟き、矛盾したことに一方では日々、自分を奮い立たせるような言葉を探していた。

映画「いまを生きる」

朝4時に起きて、茶碗を洗う

 そんなときに古いこの映画に巡り合ったのだった。劇中の「カーペ・ディエム」という言葉は、負けてたまるか、と念じる私の胸を鋭く刺した。

 人生の残り時間は少ない。映画の生徒たちよりもひたむきに、眼の前のこの一瞬、この一時間、この一日に集中して、その日を摘んでいくしかないのだ。

 私ができること――つまり還暦を過ぎて手の中に残っていたのは、事実を書き残す技術しかなかった。

 それで単純に生き、惹かれる人の方に向かって書くことにした。まず午前4時から5時ごろにかけて何も考えずに起きる。台所に立って水道の蛇口を思いきりひねり、茶碗を洗う。飛び散る飛沫をこみ上げる不安や前日の屈辱の記憶に浴びせて、茶碗の泡ごと洗い流す。それから朝の光の中でゆっくりと緑茶を入れ、午前10時までパソコンの前に座った。そこで前日に出会った無名人のことを考える――。