読売新聞の社会部記者として、長年スクープを報じてきた清武英利氏。その後、巨人軍の球団代表になるも、2011年に「読売のドン」こと渡邉恒雄氏の独裁を訴え、係争に。現在はノンフィクション作家として活動を続ける。

 そんな清武氏が、約50年にわたる波乱万丈の記者人生と現代の記者たちの奮闘を描く『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)を刊行した。

 今回は清武氏が青森支局に配属された若き記者時代に、警察の解剖室で体験した衝撃的な場面を抜粋して紹介する。

ADVERTISEMENT

◆◆◆

喧嘩、口論、デモに火事、何でも前の方で見るに限る

 その日の明るいうちに、青森港に変死体が上がった。岸壁近くの波間に浮かんでいた。事件取材は出足の良さが記事の出来栄えを左右する。新聞は朝刊一つをとっても、地方へと発送する早版(早い時間に印刷する版建て)に始まって、都心に向けた締め切りの遅い最終版まで、一晩に3、4種類もの新聞を制作する。意外なことに、興奮のあまり捻りだした早版向けの第一報が、体裁を整えた第2、第3報よりも驚きと臨場感に満ちて出来が良かったりもするし、何よりも荒らされていない現場は記者にツキを呼ぶ。私は学生時代、デモに参加したころから最前列の目撃者でありたいと願っていた。喧嘩、口論、デモに火事、何でも前の方で見るか、加わるに限る。

 そのときも、記者クラブから真っ先駆けて岸壁に走り、写真を撮り、取材を終えて帰ろうとした。そこで声をかけられた。大きな頭を持つ、あの刑事一課長である。

「解剖みでいぐか。死ぬごどがどったごどが、わがってねんだびょん」

 語尾だけを聞くと濁ったフランス語のようだが、彼の言葉には有無を言わせぬ響きがあって、私は彼らの車に乗せられ、解剖室に連れて行かれた。

 産経新聞文化部出身の司馬遼太郎は、新聞記者が持つ「卑しむべき三つの悪しき、そして必要とされる職業上の徳目」として、競争心、功名心、雷同性を挙げている。青森でサツ回りの日々を送る私は、早くもそうした三つの病に染まろうとしていた。

新聞記者の三つの徳目を上げた司馬遼太郎  ©文藝春秋