読売新聞の社会部記者として、長年スクープを報じてきた清武英利氏。その後、巨人軍の球団代表になるも、2011年に「読売のドン」こと渡邉恒雄氏の独裁を訴え、係争に。現在はノンフィクション作家として活動を続ける。

 そんな清武氏が、約50年にわたる波乱万丈の記者人生と現代の記者たちの奮闘を描く『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)を刊行した。

 今回は本の中に登場する元週刊文春記者の森下香枝氏が、少年Aの両親を説得して独占手記をスクープするまでの場面を抜粋して紹介する。

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夏服のままスカーフを巻いて神戸連続児童殺傷事件を取材

 そして神戸連続児童殺傷事件が起きた。仙台の不倫騒ぎを担当させられていたものの、連続児童殺傷事件は、少年犯罪史上最も残忍な、理由不明の犯行である。神戸の警察関係者から「少年A」につながる核心情報をもらっていたこともあり、「ぜひ担当させてくれ」と声を上げた。

 メディアによる暴風のような過熱取材が続いていた。だが、なぜ「少年A」が理由もなく次々と子供を殺傷したのか、彼はどのように育ったのか、家庭環境のどこに問題があり、その教育と殺人はどんなつながりがあるのか――両親の話を聞き、真実と分析を報じるのは、メディアの使命ともいえるテーマだった。しかし、彼女の声は上司に相手にされなかった。

少年Aからの犯行声明文 ©時事通信

 編集長が交代したので、また「行かせてくれ」とにじり寄る。今度は「経費は出してやるが、お盆休みに自分で行ってきたらどうだ」と言われた。これは少し後のことだが、冬近くに同僚が激励に行くと、彼女は夏服のままスカーフを巻いて取材をしていた。

 当時の編集幹部の記憶では、「彼女が自分で立候補したので、神戸に行かせると、不眠不休で1週間張り込み、『少年A』の両親の隠れ家を突き止めた」となっているが、実際はそうではないという。森下にも両親の避難先はわからなかったのである。

 彼女がやったことは、両親の友人や弁護士にせっせと手紙を書き、それを渡して取次ぎを求め続けたことだ。

 これは先輩から引き継がれている文春の伝統的手法で、なぜ面談をしたいのか、その事情を丹念に記した手紙を届けて接触を求めるのである。それも通り一遍の挨拶文ではなく、

「取材者の思いが伝わるように、書き出しから工夫した文章を書け」

 と先輩たちから指導されていた。当たり前のようだが、スピードが求められる新聞、テレビ関係者はあまり手紙を書かない。これに対し、森下は現地を歩くたびに喫茶店や公園で時間をかけて手紙を書き、両親、弁護士、友人らの郵便受けに置いて帰った。