読売新聞の社会部記者として、長年スクープを報じてきた清武英利氏。その後、巨人軍の球団代表になるも、2011年に「読売のドン」こと渡邉恒雄氏の独裁を訴え、係争に。現在はノンフィクション作家として活動を続ける。

 そんな清武氏が、約50年にわたる波乱万丈の記者人生を振り返る『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。権謀術数渦巻く巨大メディアで、あのとき何が起きていたのか。

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抜き抜かれの次元を越えた「あの報道」

 社会部で取材班を率いていたころ、私たちはスクープを打つ一方で、何度も他紙や雑誌に抜かれた。抜かれると、悔しさの後で静かな反省が生まれる。

 私は自分や部下を叱る一方で、同じような局面に立ち戻ったら、今度は自分たちがスクープを取れる用意はあるのか、と考えるように努めた。「できる」と思えればさほど問題はない。頑張ればいいだけのことである。

「抜いた抜かれた」というのは私たちのメシの種、メディア内部の競争に過ぎず、抜かれたらその後に追いかけて、きちんと報じれば済むことだ。

 だが、「赤旗スクープ」、とりわけ「桜を見る会」の報道は、抜き抜かれの次元を越え、新聞界に深刻な問題を突き付けている。

写真はイメージ ©hiroshi.okura/イメージマート

記者やメディアは腐敗したのか?

「桜を見る会」は公費で芸能人が呼ばれテレビや新聞に映像、写真付きで報じられ、メディアの真ん前で繰り広げられていた。ところが、多くの記者たちはそれが意味する権力者による驕りや私物化に気付かなかったからだ。

 疑問を感じた現場の記者が原稿を書こうとして上司から止められた、というなら、まだ救いがある。現場記者が感じ取った疑問ならば何らかの形で紙面なり、告発の形で雑誌なりに染み出すからである。

 しかし、記者が権力者に迎合したり、その行為に寛容であったりして、目の前の公金私物化に何の疑問も感じなかったのであれば、その記者とメディアは腐敗したことを意味する。

 この問題がさらに深刻なのは、赤旗日曜版に記事が掲載された後も、その事実を政治部記者や放送記者がなかなか報じなかったことである。記事は書いて終わりではない。特ダネを取ったという自己満足に浸ってはだめだ、というのが、「しんぶん赤旗日曜版」副編集長・山本豊彦の信念でもある。

 山本は大手紙の記者たちに「こんな国政私物化はけしからんと思いませんか。一緒に取り上げていきましょうよ」と呼び掛けた。

 ところが、政治部記者たちは「国会で共産党が質問してくれて、質疑があれば書けるかもしれない」と言う。がっかりした。記者魂を持ったプロがいなくなったな、と彼は思った。