読売新聞の社会部記者として、長年スクープを報じてきた清武英利氏。その後、巨人軍の球団代表になるも、2011年に「読売のドン」こと渡邉恒雄氏の独裁を訴え、係争に。現在はノンフィクション作家として活動を続ける。
そんな清武氏が、約50年にわたる波乱万丈の記者人生を振り返る『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。権謀術数渦巻く巨大メディアで、あのとき何が起きていたのか。
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「記者会見したら破滅だぞ」
前述したように、11月10日に高橋由伸との年俸交渉を済ませ、11日がめぐってきた。私が吉峯弁護士とともに記者会見をしたいと、午前9時になって文科省記者クラブを通じて各社に通告したところ、渡邉から私の携帯に電話がかかってきた。
後で聞いた話では、そのころ球団事務所には、会見するという連絡が流れ、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
社内では「文科省で会見するということはドラフトがらみか」とか「また裏金問題か」というささやきや憶測が流れていたらしい。私は社内の誰にも会見の話を漏らしていなかった。
桃井や同期の読売幹部たちから次々と電話がかかってきたが、誰も巻き込みたくなくて応じなかった。最後の電話が渡邉だった。
「記者会見すると騒ぎになっている。何の話だ」という渡邉に対し、私は「既に内示しているコーチ人事をひっくり返さないでほしいのです」と繰り返し求めた。それから9日の主筆室での面談と同じような話になった。
私に残る記憶の一つは、コンプライアンスをめぐるやり取りである。渡邉が言う。
「巨人軍というのは読売新聞グループ本社の100%子会社だ。だから、人事権は親会社にある」
「もちろん、承知しておりますが、決まったことに関しては逐一、毎回必ず本社に行きまして、こんな人事にしたいんです、いかがですかとか、来季の交渉についてもお話を申し上げました。それでご了承をいただいて、コーチたちに内示をし、『来年も頑張ろうぜ!』という話をしたので、それをいまさらひっくり返すわけにはいかんのです」
私は「岡崎に謝るよ」とか「撤回も考えるよ」といった言葉をひそかに期待していた。だが、最後に返ってきたのは渡邉の冷厳な声だった。
「記者会見したら、これは破滅だぞ。破局だな」
「破局とはどういうことですか」
「破局的な状況になるよ。君にとって、非常に不利だよな。読売新聞社と全面戦争になるんだから。君は長い間、読売で飯を食ってきて、将来もっと上がある。それが全部チャラになるということだな」
