読売新聞の社会部記者として、長年スクープを報じてきた清武英利氏。その後、巨人軍の球団代表になるも、2011年に「読売のドン」こと渡邉恒雄氏の独裁を訴え、係争に。現在はノンフィクション作家として活動を続ける。
そんな清武氏が、約50年にわたる波乱万丈の記者人生を振り返る『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。権謀術数渦巻く巨大メディアで、あのとき何が起きていたのか。
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「ろうそくはなァ、火が消える直前が一番明るいんだッ!」
渡邉は大正天皇が崩御した1926(大正15)年に生まれている。私の球団代表時代には80代の半ばに差し掛かるころだったので、当時から読売グループ幹部のなかにも、「もうそろそろ」と思う者が少なくなかった。
どんなカリスマ経営者も加齢に伴って体力や判断力が衰えていくのは当然のことである。渡邉も物忘れが年々進み、惚けたのではないか、と言う幹部もいた。
球団代表職に就いた直後、私は先輩から「ナベツネには年月日に加えて、通し番号を振った報告書を渡すようにせよ。『そんなことは聞いてないぞ』と叱責されたときに役に立つから」と助言を受けていた。
しかし、そうした部下たちの魂胆は見抜いていたのだろう。行きつけのホテルの料理屋で酒が入ると、側近たちにこんなことを低い声で言った。
「君らは、俺がもうすぐ死ぬ、と思っているんだろう。しかしだなァ」と好きな清酒を舐め舐め、周りの者たちの眼をのぞきながら、一瞬置いて大見得を切る。
「ろうそくはなァ、火が消える直前が一番明るいんだッ!」
とぼけているのか。年寄りをなめるんじゃないぞ、と脅しているのか。同席者は辛辣な冗談に声もなく、そこにいた私はうつむいて可笑しさをこらえた。
悪口は意地の悪い人の慰め
新聞記者は総じて口が悪い。後に役員になった社会部の先輩たちは、警視庁記者クラブ日誌の中に、仲間うちで互いに作家顔負けの呪詛と罵倒の言葉を書き連ねた。
彼らは私があれこれ抗弁するとニタニタ顔を歪め、今まで聞いたこともない鮮烈な差別語と悪態痛罵を並べた。「悪口は意地の悪い人の慰めである」という警句を私は思い浮かべた。
政治部出身の渡邉の悪口はさらに直截的で鋭い棘があった。酔いが口を滑らかにするのだ。どうしたことか、非難の相手はかつて彼を支えた盟友にも及び、元側近、野球人にまで至ることがあった。
ある時は、巨人の元選手の名を挙げ、「あいつは『私を監督にしてください』と俺の前で土下座したんだよ」と元選手の卑屈さを笑って同席者をげんなりさせた。当時の私は野球界の一員だったので、自分まで馬鹿にされたような気がして悲しかった。辛辣な渡邉が褒めた野球人は、王貞治監督ぐらいのものだ。決してなびかなかった野球人だからであろう。
