読売新聞の社会部記者として、長年スクープを報じてきた清武英利氏。その後、巨人軍の球団代表になるも、2011年に「読売のドン」こと渡邉恒雄氏の独裁を訴え、係争に。現在はノンフィクション作家として活動を続ける。
そんな清武氏が、約50年にわたる波乱万丈の記者人生を振り返る『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。権謀術数渦巻く巨大メディアで、あのとき何が起きていたのか。
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「球界再編の可能性」というスクープ
私はすでに『会長はなぜ自殺したか』など3冊を社会部などの仲間とまとめ新潮社から出版していたので、五輪閉幕後に、岡崎たちの成果やこれまでの経験をもとに、コラムを改革したり、スポーツノンフィクションに挑戦したりするのを楽しみにしていた。
ところが、運動部長着任から半月もすると、その夢はどこかに吹き飛んでしまった。日経新聞が2004年6月13日朝刊の一面五段見出しで、〈近鉄球団 オリックスに譲渡交渉 球界再編の可能性〉というスクープ記事を掲載したのだ。水面下で始まっていた球界再編の動きが浮上したのである。
これとは別に、ダイエーとロッテの合併構想が秘かに進んでいた。13日は梅雨の日曜日で、雨もぱらついていた。球界は暗雲が垂れ込めていた。
あとで親しくなったロッテ球団代表の瀬戸山隆三は日経の記事を読んで仰天する。報道の翌日、瀬戸山はロッテ本社に呼ばれ、オーナー代行から、「球界は危機にあり、ロッテはダイエーと一緒になる。これは球界が望むことだ」と伝えられ、驚きはさらに増した。
2つの話が現実になれば、セ・パ6チームずつ2リーグの球界は、一気に十球団による1リーグ制になるのだ。
再編の主役の一人は、巨人のオーナーで、十二球団オーナー会議議長でもあった渡邉恒雄である。プロ野球選手会とともに1リーグ制に反対した阪神球団社長の野崎勝義は、「渡邉オーナーが再編の機関車で、西武の堤義明オーナーが一両目、この連結で後の十球団を牽引している」と指摘していた。
