渡邉恒雄の「畏怖の哲学」

 主筆室で渡邉は時々、小さな手帳を取り出すことがあった。そこには主要幹部や関連会社役員の入社年次や役職が記してあるらしい。

 雑談をしているときに、その手帳を不意に取り出し、「君は1975年入社だから、定年までまだ何年も残っているな」と言われると、さすがに身が固くなった。読売のドンは案外冷静に眺めているのかもしれない、という気持ちが湧いてくる。

 彼は畏怖の哲学のようなものを持っており、巨人球団社長の桃井恒和や私にまで、幹部としての心得を説教した。

ADVERTISEMENT

 主筆室に赴くのは球団の報告事項があるときだったが、それが終わると、使い込んだ愛用のパイプを片手にした彼にこう言われたものだ。

「君、上に立つ者は部下に慕われ、かつ恐れられなければならんよ。二つのうち、どちらかしかできないときは、部下に恐れられることだ」

 冷ややかで満悦の笑みが浮かんでいる。巨人が好調なとき、彼は私のコラムの読者の一人であった。「あのコラム、読んでいるぞ。活字が小さすぎる。そう伝えておいてくれ」と言った。

 応接机の周辺には、銀のステッキやバット、もろもろの贈り物が無造作に置かれていて、灰皿からはパイプタバコの燃え滓がこぼれ落ちていた。

 それは、自分が権力を保持し続けている理由を誇示したのかもしれない。彼はキューバの国家評議会議長(国家元首)だったフィデル・カストロや米国上院議員だったロバート・ケネディらと同世代だということを話題にし、「今も権力を保っているのはカストロと俺だけなんだ」と自慢していた。

好みは“従順かつ権謀に長けた冷厳な部下”

 渡邉は従順かつ権謀に長けた冷厳な部下が好みであることも理解できた。時折、マキャベリの『君主論』を論じ、巨人の監督にも冷徹な指揮を求めた。原辰徳監督の非情采配が話題になると、「原は成長しているな」と喜ぶようなところがあった。

 マキャベリはルネサンス期イタリアの政治思想家で、権謀術数の政治的混乱のなかを生き延びた。彼の『君主論』第十七章に渡邉の言葉によく似た一節がある。

〈恐れられるよりも慕われるほうがよいか、それとも逆か。人はそのいずれでもありたいと答えるであろうが、それらを併せ持つことはおよそ困難であるから、二つのうちの一つを手放さねばならないときには、慕われるよりも恐れられていたほうがはるかに安全である。なぜならば、人間というものは、一般に、恩知らずで、移り気で、空惚けたり隠し立てをしたり、危険があればさっさと逃げ出し(以下略)〉(河島英昭訳、岩波文庫)