「でも、弁護士さんに決める権利はないじゃないですか」

 そして、両親や弁護士宛ての手紙の中に、森下はこんな趣旨のことを書いた。彼女が言う。

「アメリカに男性を17人も殺したジェフリー・ダーマーという殺人鬼がいるんですね。彼は終身刑を言い渡された後、刑務所で撲殺されたんですが、彼のお父さんは被害者の親から訴えられていた。それに、せめてもの償いをしたいという気持ちもある。それで父親は殺人鬼である息子の生育歴などを綴って、その本の印税を被害者に寄付するという宣言をした。私はそれを弁護士たちに伝えました。『この少年Aの両親も、事件がなぜ起こったのか、ありのまま伝え、社会の不安や疑問に答えるべきです。被害者がたくさんいるのだから、その方々の疑問に答え、損害賠償など償いの一部にする。そんな方法しかないんじゃないですか。私に手記をやらせてもらえませんか』と伝えたんです」

ジェフリー・ダーマー ©時事通信

 だが、弁護士や友人は応じてくれない。「人前には絶対に出ないだろうから」と言う。とうとう弁護士に、「とにかく私の主張を両親に伝えてくれませんか」と談判して、言い合いになった。

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「君、しつこいな」

「でも、弁護士さんに決める権利はないじゃないですか。両親にこそ決める権利があるんじゃないですか。だから取り次いでください」

 ひどく𠮟られたが、後で聞くと、彼女が「弁護士さんに決める権利はないじゃないですか」と叫んだ一言は、弁護士の心に刺さったのだという。結局、弁護士は条件付きで両親に取り次いでくれた。

 彼女が両親に会ったのは、Aが逮捕されてから五か月後のことである。

和歌山カレー事件の取材帰りに少年Aの両親のもとに

 文春の担当デスクは、のちに「週刊文春」や「文藝春秋」の編集長となる木俣正剛である。木俣は森下から「精神科医によると、この種の少年犯罪に、親は気づかない。親の前では完全に『いい子』を演じきれる能力がある子もいるんです」と聞かされていた。両親の取材に同席した彼はダイヤモンド・オンラインにそのときの模様をこう書いている。

〈当時の報道では、母親の厳しい教育のせいで子どもがあんな事件を起こしたという批判が大半でした。しかし、私たちが見た親の姿は本当に普通の親でした。父親は会社の慰留も断って退職。退職金を賠償に充てようとしていました。まだ他に兄弟2人がいるのに、両親そろってコンビニで働き、なんとか養っている、そんな親子なのです。この親と家族を襲った、この凄惨な事件の背景こそ、雑誌が伝えるべきものだと痛切に思いました〉

 しかし、これでも活字にはできなかった。

 両親と弁護士の要求で、「両親の許可なく原稿にしない」という趣旨の誓約書を、週刊文春編集長が交わしていたからだ。

「少年A」の両親が手記を書き始めたのが、両親に面会してから約1年後の1998年12月である。森下はその年の7月に起きた和歌山カレー事件の取材班長のような立場にあり、その取材の帰りに、両親や弁護士のもとに立ち寄って、「そろそろどうでしょうか」とゆったりと促していた。

 そして完成した手記が週刊文春に掲載されたのが翌99年3月。つまり、面会してからも手記を載せるのに、1年4か月を要したことになる。