メスが入ると、嗅いだことのない臭いが鼻を襲った
初めこそ、「ヤキトリが二つ出ている。火事現場に走れ」と隠語で指示を下す青森支局のデスクに眉をひそめ、「マグロがあるらしい」という先輩の言葉に違和感を覚えていたのに、いつの間にか、警察の借り物のそんな隠語を使い、より異常な死のニュースを求めて走るようになっていた。ちなみにヤキトリは焼死体、マグロが轢死体、土左衛門なら水死体のことである。先輩に倣い、隠語を粋がって使うのも、また記者の雷同性から来るものだろうが、ねぶた課長には若造の浅薄な様が我慢ならなかったのだろう。
初めて入る解剖室である。すでに腐臭が漂い、白い寝台とぶよぶよと膨れ上がった裸体しか目に入らなかった。頭部は形も崩れている。体も精神も朽ちた物体。邪魔にならぬよう後列にいた私は、目を見開いて無防備に見守っていた。
刑事たちが寝台の上の仏様に手を合わせ、警察医のメスが入る。とたんに肉とはらわたの奥まで溶けた、嗅いだことのない臭いが、ハンカチで押さえた鼻を襲ってきた。恐ろしい腐臭はそれから目を刺し、胃袋まで到達した。私はたまらず歯を食いしばり、これ以上は下がれないというぐらいぴったりと白い壁にくっついた。息もつけず、こみ上げてくる吐き気に目を白黒していると、刑事課長の顔に薄笑いのようなものが浮かんでいるのが見えた。
――なめんなよ。
険しい視線がそう言っている。検死が終わると、課長は向き直って、「俺たちは毎度こったら臭い嗅いでメシを食っちゅんだ。楽でねぞ」と言った。
「プロどすて切に生ぎでらんだ。おめはどうなんだい」
現場を甘く見るんじゃないぞ、という程度の意味だったかもしれないが、切に生きる刑事のプロ意識に触れたという実感があり、早くも人間の死や霊魂に鈍麻した己を見透かされたようで、恥ずかしかった。ほうほうの体でそこを出るとき、いい記者になりたい、と素直に思った。
そのころの地方版には、新聞の読者獲得のために「お悔やみ」という欄があり、支局当直者は毎朝、主要な役所に電話を入れ、届け出のあった死者の名前を教えてもらって掲載していた。それに加えて、若手記者は「亡者記事」と呼ぶ訃報を定型通りに書かされていた。
兵士たちが戦死という同じ死の形を取るしかなかった時代とは違って、平和な時代には一人ひとり異なる死の形と意味がある。だが時間に追われるなかで、日々書き飛ばしているのは、その死の形や亡くなった相手に一片の思いも馳せることのない、無表情の訃報記事だ。
それらは、私たちが「やっつけ記事」と呼ぶ情報処理だった。人間の生のニュースよりも、新米記者は他人の死を情報のベルトコンベヤーに乗せて送り出すことに追われていたのだった。
