「ああ、俺はダメだ」とため息が出たら……
明日のことに思い煩うことなく、ひたすら規則的に生きることを心掛けた。それらを文字にすると、次のようなことになる。思考の迷いを減らすための自己流の頑張る仕組みである。
(1)団地の一室で日の出前に起き、茶碗を洗いながら今日やるべきことを考える。
(2)太陽に向かって、「今日こそは良い原稿を書けますように」とお祈りを唱える。
(3)自分の心の中に「清武堂」なる架空の会社を作り、唯一の記者社員として小目標のリストをこさえる。(フリーの人間はタダ働きのような仕事が次々に飛び込んでくる。優先順位を付け、銭勘定することも大事なのである)
(4)机の前に8時間は座るぞと誓う。
(5)自分を暫時励ましてくれる「今日の言葉」を探して、メモか手帳に書き留める。
それは西郷隆盛の漢詩の一節「耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花麗し)」であったり、マザー・テレサの言葉「人々は弱者を応援しながらも、強者に付き従います。それでも、弱者のために闘いなさい」だったり、朝ドラの「ちゅらさん」でおばあが主人公に掛けた言葉「乗り越えなさい。エリー!」だったりした。そうした言葉や人生訓、箴言を部屋中にもベタベタ張る。
(6)自分を卑下しない。「ああ、俺はダメだ」「情けない奴だ」とため息が出たら、その言葉のあとに、「と、思った」とか、「なんちゃってね」と続けて、悲観の虫を追い出す。自分の評価は自分でするしかない。上司なんかいないのだ。
(7)一日に3人以上に電話し、3通以上のはがきかメールを書く。(今は連絡先がもっと多いが、会話を楽しんではいけない)
(8)寝付けない夜は、寝床の外のベランダを郷里の小川に見立て、そこに夢想した小さな舟を浮かべて今日の腹立たしいことを乗せて下流に流す。眠れるまで何度でも今日の悪夢を流し続ける。
そして、2年ほどすると、私はノンフィクション作家を本業とし、自分の書き残す対象を実在の無名の人に据えるようになっていた。彼らのたどった道や会話を執筆しているときに強い喜びを感じていたからだ。
村上春樹は毎日10枚の原稿を書く
私は彼らを「後列のひと」と呼び、同名の本も刊行した。彼らは最前列の席は占めない。後ろの列の目立たぬところで、他人や組織を支える人々である。私はそのころになって、無名人を探しあててコツコツと記述することが、我が天職なのだとようやく思い定めた。
あるとき、村上春樹が執筆した『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング)を読んだ。同世代の小説家はこう書いていた。
〈アイザック・ディネーセンは「私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます」と言っています。それと同じように、僕は毎日十枚の原稿を書きます。とても淡々と。「希望もなく、絶望もなく」というのは実に言い得て妙です。朝早く起きてコーヒーを温め、四時間か五時間、机に向かいます〉
――ああ、あれでよかったのだな。
と改めて得心した。

