読売新聞の社会部記者として、長年スクープを報じてきた清武英利氏。その後、巨人軍の球団代表になるも、2011年に「読売のドン」こと渡邉恒雄氏の独裁を訴え、係争に。現在はノンフィクション作家として活動を続ける。

 そんな清武氏が、約50年にわたる波乱万丈の記者人生と現代の記者たちの奮闘を描く『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』(文藝春秋)を刊行した。

 今回は清武氏が巨人軍球団代表時代に裏方のスタッフから言われて心に刻んだ金言の数々を「特別読切」の第2弾として紹介する。

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激怒して料理の並んだテーブルをドーンと叩いた

 不遜な記者だった私を鍛え直してくれたのは、野球界の裏方とコーチたちではなかったか、と思うことがある。ハッとさせられる言葉を持ち、強い物言いの人が多かった。胸を鉄拳で打たれたような気になるときさえあった。

 2004年8月、読売巨人軍でスカウトの裏金供与が発覚し、私は球団代表に否応もなく担ぎ出された。チームは泥沼状態が続いた。

 後始末の私たちは読売グループのドンであった渡邉恒雄によくなじられた。彼が酔って、「俺は人の評価を誤ったのかもしれん」と罵倒されたこともある。巨人の新オーナーを託された社会部出身の先輩たちはうなだれていた。

 ――しかし、それはこれまでオーナーだったあなたの責任でもあるのではないですか? 

 そう思った瞬間、私は末席から、「お言葉ですが」と口を開いてしまった。

「なにぃ」と渡邉が激怒して料理の並んだテーブルをドーンと叩いた。テーブルのコップがフワリと宙に浮いた。

渡邉恒雄氏©文藝春秋

 こうした理不尽な叱責を私が我慢できたのは、巨人の裏方たちに言われていたからだ。「簡単に辞めないでくれ。辞表を出すな」と。

 なかでも、1軍マネージャーだった松尾英治の言葉は胸に迫った。

「このところ、うちの球団代表はみな2、3年で代わっていかれました。時間をかけないとチームは変わりませんよ。だから、代表には長くいてほしいんです」

 彼は私の力を見込んで言ったのではない。松尾の言葉は、拙著『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』の第七章にも記したが、人はどんな言葉と出会ったときに奮い立つのかを教えてくれた出来事なので、改めて書いてみたい。

 松尾は神奈川の戸塚高校から巨人に入団した元投手で、身長が185センチもあり、大きな顔は日に焼けてピカピカ光っていた。

「俺が長くいれば何とかなるのか」と私は言った。

「なります。代表のところがしっかりしてくれれば、強くなるに決まっています」。はっきりした声だった。

「俺は記者上がりだぞ。俺は素人だよ」

「大丈夫です。だって、ここはジャイアンツですよ」

「代表のところ」というのは、私が統括するスカウト部や外国人選手を獲得する国際部、トレード担当の編成調査室――つまり補強部門のことである。つまり、彼はこう言ったのだ。

 ――あんたはド素人だが、俺たちが精いっぱい手伝うから簡単に辞めるな。1日でも長く踏みとどまって、大艦巨砲主義の古い組織を改革しろ。