日本のロケットの父が残した人生訓
原稿執筆に疲れたり、自分の仕事に疑問を抱いたりすると、私は松尾から教わった「努力の音」という話を思い起こす。彼の同期だった川相昌弘のバント練習を巡る実話だ。
当時のジャイアンツ寮は練習場が隣接していて、打ち込む音が寮にまで響いた。バッティングマシンからボールが放たれる。「ゴーン」という音の後に、「カーン」という乾いた打球音が響き、ネットにボールが当たって、「カサカサ」の音で終わる。
休養日になると、2軍選手の多くは昼ごろまで寝床にいたが、川相は外出する日も午前中に練習してから出かけた。彼の努力の音は寝ていても聞き分けられた。ゴーンの後に、「カン」という短い音しか聞こえないからだ。バントの練習をしているのだった。
「その単調な繰り返しが自分たちにはできなかった」と松尾は言った。1日のわずかな差、それが小柄な川相に犠打通算533本という世界記録を打ち立てさせたのだ、と松尾は言う。
同じような話を、日本のロケットの父・糸川英夫が『一日一発想366日』(講談社α文庫)に残している。
〈一枚の紙の厚さは、ほとんど測れないほど薄い。しかし、電話帳を数十冊積めば、人の背の高さになる。小さなステップでいい。それを根気よく上がり続ければ、ある日きっと、それまで自分が夢見ていた頂点に立っていることだろう〉
階段を毎日、わずか1段でも上がっていくか、理由をつけて階段の下にとどまるか、その違いが大変な差を生んでいく。1とゼロとでは全く違う。そんなことは誰でも知っているという人は多い。だが、そうした単純な真実を自分の言葉に乗せて語りかける人が周りにいるかいないかで人生は変わってくる。(文中敬称略)
