――どうやって両親を説得したんですか。

新居 アイドルグループのプロデューサーが香川まで来てくれたんです。ただ父親は「家には入れない」って言って、近所の公園でプロデューサーと話し合うことになったんですが、外はすごいゲリラ豪雨で。結局、途中から家にプロデューサーを入れたんですが、父親は玄関までしか入れなかったです。

 私はオーディション審査の段階でファンがすごくついていたんです。なのでプロデューサーはそうしたファンの熱量を伝えて、その話に親は動かされた感じがあります。アイドルになると決まってからは親が通信高校を調べてくれたり、協力してくれました。

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「無知は強いですね」歌もダンスもできないけど“強気”だったワケ

――アイドルになるというのは、引きこもっていた自分を変えたいという思いもあったんでしょうか。

新居 それもありますし、あと田舎がずっと嫌いで東京に出たかったんです。田舎は全部見たことあるもので退屈というか刺激がなくて。それこそ、学校に行ってない私の噂をすることも娯楽のひとつなんです。そういう状況がつまんなすぎて嫌でした。

――東京でアイドルとなった新居さんですが、当時の自分について「モンスター新人だった」と語っていますね。ここまでのお話だと調子に乗るようなタイプには思えないんですが。

新居 無知は強いですね(苦笑)。アイドルは好きだったんですけど、アイドルが持つスキルを自分に投影していたわけではなくて。振り付けの覚え方も、歌の歌い方も、音程があることも知らなかったんです。

 オーディションで合宿審査があったんですけど、合宿の時にダンスを教えてくれる先生には「自分だったら、これだけできない状況に死にたくなるな」と言われたんですけど、「いや、うちは死にたくはなんないけどな」って思ってました。当時は強気でしたし、実際デビューライブから100人のファンを呼んでました。

 

メンバーから「なんで振りを覚えてきてないの?」と言われたことも…

――人気はあったんですね。ただ何もできない人が、強気の発言をしているとそれこそいじめられそうです。

新居 いじめられはしなかったですよ。みんな大人だったので。ただすごい悩ませていて「なんで振りを覚えてきてないの?」とか言われてました。今思えば、よく辞めさせられなかったなって思うぐらいやばい子でした。

 グループの空気が悪くなりすぎて、私と一緒に入った同期の子とかはそれで泣いちゃって。寮への帰り道に、かわいそうだったので慰めてました。