友人のガールフレンドの紹介でキャリルと運命の出会いを果たすのは1956年。当時、彼女はリンカーン市内の中学校に通う13歳で、聡明な生徒として人気者だった。チャールズは友人カップルとダブルデートを重ねキャリルとの仲を深め、やがて恋人同士の関係を築く。当時チャールズは通っていた高校を中退したばかりで、新聞倉庫で働き、キャリルが学校を終えると毎日のようにデートを重ねた。

 しかし、父親の車でキャリルに運転を教えていたある日、彼女が車を衝突させたことに激怒した父親に家を追い出され下宿生活を余儀なくされる。その後、キャリルの下校時間に仕事を終えられるゴミ収集業に転職したものの、賃金は安くデート代どころか自分の暮らしもままならない。やがて家賃が払えなくなり、下宿を出ていく羽目に。彼は裕福な家庭の家のゴミを集めるなかで階級差を思い知らされ、考える。

「死ねばみな平等だ」

 こんな底辺から抜け出すには大きな犯罪をしでかすしかない、死ねばみな平等だ、と。その歪んだ考えが具現化されたのが1957年11月30日。この日、チャールズは近所のガソリンスタンドに立ち寄り、犬のぬいぐるみが売られているのを見つける。キャリルにプレゼントすれば喜ぶに違いない。

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 しかし、財布にあったのはわずかな現金。仕方なくクレジットで支払いを申し出たところ、現金しか受け付けられないという。邪険に追い返した男性従業員のロバート・コルバート(当時21歳)に怒りを覚えたチャールズは翌日の深夜、バンダナで顔を覆いガソリンスタンドを再訪問。ロバートを見つけると、背中にショットガンを突きつけ「金を出せ」と脅し、事務所から現金100ドルを奪う。

写真はイメージ ©getty

 それでも怒りは収まらず、車にロバートを乗せ、郊外の空き地で膝を地面に付かせたうえで頭部を撃ち殺害。

 後にチャールズは初めての殺人で多幸感を味わったと語っているが、この一件は、通りがかりの犯行と目され彼に嫌疑が向けられることはなかった。

次の記事に続く 「死刑を逃れる道もあったのに…」恋人の家族を皆殺し→合計10人を殺害した19歳少年が犯した『人生最後の失敗』(海外の事件・1958年)

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