クレジット払いを断られた――それだけの理由で、19歳のチャールズ・スタークウェザーは翌日、店員を射殺した。14歳の恋人キャリルとともに、わずか8日間で10人を次々と血に染める凶行に及んだ殺人カップル。底辺からの脱出と「死ねばみな平等だ」という歪んだ思想が交錯した逃避行の「行く先」とは? 文庫『世界の殺人カップル』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全3回の1回目/続きを読む)
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19歳少年と14歳恋人少女の「地獄の逃避行」
傑作として名高い1973年の映画「地獄の逃避行」、名匠オリバー・ストーン監督が1994年にメガホンをとった「ナチュラル・ボーン・キラーズ」、シンガーソングライターのブルース・スプリングスティーンが1982年にリリースした「ネブラスカ」など数々の映画や楽曲に影響を与えた殺人カップルがいる。1958年1月のたった8日間で10人を殺害したチャールズ・スタークウェザーとキャリル・フュゲート。
当時19歳と14歳の少年少女が起こした凶行は今も米犯罪史上に深く刻まれている。
チャールズは1938年、ネブラスカ州第2の都市リンカーンで生まれた。
貧しい家庭だったが、両親は懸命に働き生活環境は決して悪くなかった。しかし、学校に進学すると状況は一変。実はチャールズは身長160センチ程度の小男でガニ股、近眼。さらに先天異常である外反母趾と軽度の吃音を持っており、これが原因で校内で壮絶ないじめに遭う。
ただ運動神経は抜群で、年を重ねるとともに腕力にも自信を持つようになると、今度はいじめた相手に復讐を果たし、いつしか、近所でも有名な不良になっていた。そんな彼が憧れていたのが、1955年の映画「理由なき抵抗」の主演で孤独と反抗の象徴として崇られていた俳優のジェームス・ディーン。チャールズは服装や髪型、仕草をまねて、反逆児を気取っていた。
