「運命の相手」と思った相手は、性犯罪を繰り返すDV男…。罪のない少女3人を殺害した、カナダ人夫婦。なぜ妻は夫の残忍な犯行に協力したのか? なぜ実の妹まで夫に差し出したのか? そこに至るまでの背景を、新刊『世界の殺人カップル』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む

なぜ彼女はDV男に妹まで差し出したのか? 写真はイメージ ©getty

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「この恨みは一生忘れないからな」

 1991年6月29日、カナダ・オンタリオ州南西部のナイアガラ・オン・ザ・レイクの歴史ある教会で一組のカップルが結婚式を挙げていた。新郎ポール・ベルナルド(当時26歳)と新婦カーラ・ホモルカ(同21歳)。約150人の参列者はカーラの美しい姿に息を飲み、誰もが2人を祝福していた。馬車から降りるカーラの右腕を支えるポール。その刹那、下を向いたカーラの眉間に皺がよる。

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 昨日、ポールに殴られた右腕の裏側に痛みを覚えたのだ。そんな彼女の耳元でポールが誰にも聞こえないよう、「この恨みは一生忘れないからな」と囁く。カーラの両親が挙式の費用を出し惜しんだことへの嫌味だった。傍からは幸せの絶頂にしか見えない2人はこのとき、実は地獄への道を突き進んでいた。半年前にカーラの実妹を強姦・死に致らしめ、さらにほんの2週間前にも14歳の少女をレイプ、殺害していたのだ。

 犯行はポールが主導し、彼に精神的にも肉体的にも支配されていたカーラが積極的に協力していた。いったい、2人の間に何があったのか。

 ポールは1964年、オンタリオ州トロントのスカーバローで3人兄姉の末っ子として生まれた。父ゲネスは公認会計士で、母マリリンは主婦業の傍らガールスカウトの指導員として活動、家庭は裕福だった。が、父ゲネスは男尊女卑の典型のような人物で、事あるごとに妻を殴ったばかりか、自分の娘(ポールの姉)にも性的虐待を働いていた。ポール自身が虐待を受けたことは少なかったものの、実は彼はゲネスの実子ではなかった。ゲネスのDVやモラハラに悩んだマリリンが昔の男友だちに救いを求めたうえに肉体関係を結び、結果できた子供がポールだった。

 本人がその事実を母から聞かされたのは16歳のとき。あまりに衝撃的な内容にポールは大きなショックを受け、母に「この淫売女!」と当たり散らし、やがて軽蔑していた父と同じように女性を蔑視する、傲慢で高圧的な人間へと変わっていく。

 高校を卒業した1982年にトロント・スカーバロー大学に入学。友人たちとナンパに勤む。イケメンだったポールの成功率は高く次々に女性が落ちたが、彼女らに接する態度は異常だった。デートの最中に公衆の面前で相手を罵倒したり、いきなりアナルセックスを望んだり、1986年にはわいせつな電話をかけまくり2人の女性から接近禁止命令を受けている。

 そして1987年、彼の異常行動は一線を越える。