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「スカーバローのレイピスト」

 当時ポールは公認会計士の事務所でアルバイトをしていたのだが、抑えきれない暴力的な性欲を満たすため、同年5月、仕事帰りに21歳の女性を尾行し彼女の自宅前で強姦したのを皮切りに、1989年12月までの2年7ヶ月の間にスカーバロー周辺で15歳から22歳までの女性に対し、未遂も含め少なくとも10件の強姦を働いた。周辺一帯は「スカーバローのレイピスト」として犯人を恐れ、トロント警察も逮捕にやっきになってモンタージュ写真を作成した他、1990年5月から9月にかけて130人以上の男性からDNAを採取。同年11月にはこれに協力したポールからも事情を聞いているが、彼を真犯人と特定するまでには至らなかった。

 一方、カーラは1970年、オンタリオ州郊外の工業地帯であるポート・クレディットで生まれた。当時のチェコスロバキアからの亡命者である父の収入は低く、一家は次女ローガン(1971年生)、三女タミー(1975年生)とともに街の外れにあるトレーラーハウスでの生活を余儀なくされた。もっとも、父親が街のショッピングモールで絵画を販売するようになると皮肉にも一家の暮らしは安定し、やがて一戸建ての家に転居する。1986年、地元の高校に入学すると、カーラは美しいルックス、気立ての良さ、目を見張るファッションセンスで、学校一の人気者だった。友だちが蜘蛛や蝿を叩き潰そうとしただけで命の大切さを真剣に説き、心の優しさは教師も称賛するほどだった。

 その一方、彼女は幼少期の貧しい暮らしの影響か、結婚相手は裕福な男性と心に誓っており、同じような価値観を持った友人らと1987年に「ダイヤモンド・クラブ」というサークルに所属。そこに友人の紹介で入会してきたのがポールだった。

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 前記のように、当時ポールは連続強姦事件を開始する前後だった。が、もちろん、裏の顔はおくびにも出さず、単なる事務員ながら堂々と公認会計士を名乗り、極めて紳士的に振る舞った。そんな彼にカーラは一瞬で恋に落ちる。この人こそが自分が探していた理想の相手。自分に夢中になるカーラに、ポールも好意を抱き、ほどなく2人は恋人同士の関係となる。これが破滅の始まりだった。