性犯罪者のDV男を「運命の相手」と思ってしまった、カナダ人女性のカーラ・ホモルカ。ついには夫の強姦殺人にまで片棒を担がされてしまう…。暴力衝動をエスカレートさせる夫、それを止められない彼女はその後どうなったのか? 新刊『世界の殺人カップル』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む

写真はイメージ ©getty

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「このままでは自分が殺される」

 1992年4月16日、夫婦はオンタリオ州セントキャサリンズの道を車で走りながら獲物を探していた。そこに中学校から帰宅途中のクリステン・フレンチ(同15歳)が通りかかる。ポール好みの美少女だ。彼らの車はクリステンの進む先で止まり、ほどなく近づいてきた彼女にカーラが路上で声をかけ道案内を頼む。周到な妻の仕事に満足したように、ポールがクリステンを車に拉致し自宅へ。ここから彼女は13日間に及ぶ地獄の拷問を受けることになる。ポールとカーラはまず、以前撮影したレスリーのビデオを彼女に見せ、これから何が起きるのかを認識させた。恐怖で怯えながらも何とか命だけは奪われまいと懸命に要求に応じるクリステン。

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 しかし、その願いも虚しく、同月30日に彼女は現場から20キロほど離れた排水路で変わり果てた姿で発見される。遺体は全裸状態で、髪の毛はばっさり切られていた。

 新聞やテレビが事件をトップニュースとして扱うなか、ポールは腹立ち紛れにカーラへの暴行をエスカレートさせていく。1993年1月5日、懐中電灯で目玉が落ちるほど顔面を殴打されたカーラは命の危険を感じ、家を出る。このままでは自分が殺されるのも明らか。彼女は覚悟を決め事の顛末を実家の両親に説明する。驚いた両親はすぐに警察に通報。翌日、トロント警察はカーラに対する暴行容疑でポールを逮捕するが、前科のない彼はしばらくすると保釈金を積み自由の身となる。

 しかし、ほどなく2年前に別件の猥褻容疑で取り調べを受けた際に採取した彼のDNAと、「スカーバローのレイピスト」のDNAの型が一致することが判明。警察がカーラに事情を聞いたところ、彼女は全てを打ち明ける。その証言によれば、ポールはカーラに犠牲者の服を着せ行為に及ぶこともあったそうだ。

 同年2月17日、両者ともに逮捕。その後、警察は10週間にわたり彼らの住まいを徹底的に捜索し、決定的な証拠となる犯行ビデオや犠牲者の所持品などを押収する。

 同年5月、ポールは第一級殺人、誘拐、監禁、加重暴行の容疑で起訴され、2年後の1995年9月1日に有罪、終身刑の判決を下される。一方、カーラは裁判でポールに不利な証言を行う検察との司法取引に応じて懲役12年の刑となった。