作者・中沢啓治さんの妻が語る創作の原動力
中沢さんの妻・ミサヨさんは連載中、夫の作画を手伝っていた。家族が炎に包まれる場面を描いた時のことを語っている。
「お父さんの顔とか描くじゃない。ペンが止まるんですよ。『熱かったろうな』とか『痛かったろうな』とか言いながらね。『やっぱり辛いよな。どんな思いで死んでいったんだろうなと思うとやりきれん』と言ってましたね」
中沢さんの母親は被爆後も生き抜いたが、やがて亡くなって火葬された時、骨は原型をとどめず粉々だった。「放射能は母親の骨まで取っていった」という体験が『はだしのゲン』を描く原動力になったと、ミサヨさんは明かしている。
広島市長を1991年から8年間務めた平岡敬さんは、ゲンの父親が反戦的な言動で警察に連行され拷問を受けるシーンが印象に残るという。
「非国民だと言われるんですね。この空気がいちばん怖いんですよ。油断してたら今にそうなると。なりかけてますからね」
広島市の平和教材からゲンがなくなったことについても語っている。漫画でゲンと弟が食料として他所の家から池の鯉を盗む場面が教育上よろしくないとされたのだが、戦後の食糧難の時代に生き残った人たちは、みな法律を破って生き抜いたのだと指摘。
「食糧管理法というのがありました。これを守ったら生きられないんですよ。だからみんな闇米を買ってそれで生き抜いたんですね」
胸を打つ被爆者の証言
映画の終盤、原爆で右半身に大やけどを負った阿部静子さんの証言が胸を打つ。顔のやけどが赤く腫れあがり引きつってしまった。出征していた夫が戻ってきた時、離婚を切り出した妻の父に何と語ったか? ここはぜひ映画でご覧になってほしい。
戦後80年、すなわち原爆投下から80年。映画で自らの体験を証言している人はいずれも90代だ。撮影後に亡くなった方もいる。体験者の記憶を残すことのできるギリギリの時期に本作は作られた。
この貴重な証言を子どもたちに受け継いでほしい。そのために、この映画を全国の学校で巡回上映してもらいたい。なにせ本作は文部科学省が選定し、広島県知事が推奨しているのだから。
『はだしのゲン』を学校から撤去している場合ではない。ゲンはまだ怒っているぞ。
『はだしのゲンはまだ怒っている』
企画・監督・編集:込山正徳/プロデューサー:高橋良美、木村利香/共同プロデューサー:大島新、前田亜紀/2025年/90 分/日本/制作:東京サウンド・プロダクション/制作協力:ネツゲン/宣伝協力:リガード/配給:アギィ/製作:BS12 トゥエルビ/©BS12 トゥエルビ/広島・サロンシネマ、東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場、京都・京都シネマ、兵庫・元町映画館にて公開中。ほか全国順次公開



