いま話題の漫画家マンガ、『ゲットバック』。著者である古泉智浩氏へのインタビューの後半は、デビューから現在までの軌跡についてお聞きした。(全2回の2回目/最初から読む)

『ゲットバック』著者の古泉智浩氏

“新人賞荒らし”の異名

──インタビューの冒頭にさかのぼりますが、大学3年の終わりからマンガを描き始め、新人賞を7回も受賞された“新人賞荒らし”だったというのは、順風満帆なスタートですよね。漫画家になろうと思われたきっかけは?

古泉 山田花子先生の自殺にショックを受けたんです。ほぼ同年代で、すでに「ヤンマガ」でデビューして本も出していて、「ガロ」でも特集されて、「タモリ倶楽部」にも出演している。僕が欲しいものを全部持っているのに、なぜ死を選んだのか。むしろ僕が死んだ方がマシなのに……。

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 もうすでにマンガは描き始めていて、山田さんがどうすれば死なずに済んだのか……そんなことを考えていたときに、思いついたマンガでデビューしました。ところが、その後が続かなかった。大学4年の時から某区の施設で準非常勤職員として働いていて、そこの待遇がすごく良かったんです。そのぬるま湯のせいで、マンガに本腰が入らなかった。結局6年間いたんですけど、3年で辞めていれば良かったと後悔しています。

──当時は「ヤングマガジン」で描きたかったそうですね。

古泉 はい。すぎむらしんいち先生や望月峯太郎先生、安達哲先生が活躍して、火が出るような面白い雑誌で、その仲間に入りたかったんです。結局、チョロっと顔を出したぐらいで終わりましたけど。

──連載には至らなかったわけですか。

古泉 大手は連載作家じゃないと商売にならないんですよ。僕は大島弓子先生のような短編を描きたかったので、読み切りをポンポン描いて載せてもらえたらいいな、と思っていたので。自分の志向性として、連載用のネームを考える方に気持ちがいかなかったんです。

──その頃、編集者から言われた言葉が印象に残っているとか。

古泉 「ヤンマガ」に持って行った時に、編集さんに一発目で「君は『ガロ』が向いてるよ」って言われたんです。でも、こっちは商売をやる気満々で来てるから、「あんな原稿料も出ないところ、冗談じゃないっすよ!」みたいに言ってて。「ガロ」のブランド力を全く理解してなかった。ファンでもなかったですし。

──いわゆるガロ系には……。

古泉 全然興味がなかったです。大学で美術研究会にいたんですが、みんなが「ガロ」を読んでいて、丸尾末広先生や根本敬先生を見せられても「気持ち悪い!何これ!?」みたいな。田舎者には刺激が強すぎて、僕が完全に間違ってたんです。商業誌で芽が出ず、28歳のときに「ガロ」に持って行ったら、すんなり載せてもらえて。すごく水が合ったんですよ。

 その後、「ガロ」が休刊し、後継誌である「アックス」で連載デビューすることになるんです。あと2年早く持って行ってたら、花くまゆうさく先生や本秀康先生くらいにはなれたかもって、すごく後悔しているんです(笑)。

編集者に裏切られる竹夫