「頑張らないと痩せないよ――」。高校時代、65キロの体重ゆえにクラスメイトからそんな嫌がらせを受けていたインフルエンサー・もち子さん。さらに、学校生活のストレスと受験のプレッシャーが重なり、「摂食障害」と「双極性障害(躁うつ病)」を併発。多くの苦しみを抱えた彼女は、いかにして現在の健康的な筋肉とメンタルを手に入れたのか。前編では、人生を変えるきっかけとなった「大学受験」までを追う。(全2回の1回目/後編を読む

勉強&トレーニングにまつわる投稿で人気を集めるインフルエンサーのもち子さん。彼女はなぜ変われたのか? ©細田忠/文藝春秋

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偏差値30からの逆転合格。原動力は「見た目へのコンプレックス」

――高校時代の写真を見ると、今とはかなり印象が違いますね。

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もち子 はい。一番太っていたのは高校1年生のときで、身長160センチ、体重65キロありました。もともと小中学生の頃から、周りの子に比べて少し女性らしい体つきだったんです。男子から「デブス」と日常的に言われていて、自分に自信が持てませんでした。

人生で一番太っていた時期のもち子さん(写真:本人提供)

――そんなもち子さんがどう変わったのでしょうか。

もち子 中学生のときです。「高校に入ったら変わりたい」という一心でした。それで校風が自由で、髪を染めたり制服をアレンジするのもOKな自由な校風の高校を志望しました。キラキラした世界に行けば、自分も変われるんじゃないかって。

 でも、当時の私は本当に勉強ができなくて、中学3年生の4月の模試では偏差値が30くらいしかありませんでした。志望校の偏差値は60~65。学校の先生からも「無理だ」と言われるような状況でした。

――偏差値30! それで60以上ある学校を目指すのはすごい。

もち子 とにかく、頭が良かったわけではないので、人の10倍の量をこなしました。中学2年生の秋から塾に通い始めたのですが、本格的に火がついたのは、模試の結果を見てからです。塾の先生の教え方が素晴らしくて、それに応えたいという気持ちもありましたね。

――人の10倍って言うのは簡単ですが、実行するのは相当大変だったと思います。どういう生活を送ってたんでしょうか。

もち子 中学3年生の夏休みは、朝10時から夜10時まで塾にこもりきり。元日も塾に通っていました。それまで勉強してこなかったので大変でしたが、「高校デビュー」という目標があったから頑張れたんだと思います(笑)。

 県立の高校入試は内申点と試験、面接の総合評価なのですが、内申点が足りなくても試験で挽回できると信じて、ひたすら試験対策に集中しました。

――すごい集中力です。

もち子 最終的には模試で偏差値67を記録し、志望校にはトップの成績で合格することができました。塾の先生からは「受かると思ってたよ」と言ってもらえて、すごくうれしかったです。両親は「勉強しろ」と一度も言わない人たちでしたが、合格をとても喜んでくれて、おいしいご飯に連れていってくれました。祖母が10万円くれたのもいい思い出です(笑)。