いつもは「お母さん」と呼ぶのに、「ママ」と呼んだ
5月12日は「母の日」だった。明美は美緒から手紙をもらった。
〈お母さんの娘に生まれて、私は良かったです〉
明美は読みながら、こみ上げる涙を抑えきれない。
「お母さん、泣かないで。ママの愛が温かいよ」
いつもは「お母さん」と呼ぶ美緒がなぜか、このとき「ママ」と呼んだ。
美緒のメッセージをしおりに書いて、絵本にはさみ込むことになった。
〈つらいのは きみひとりだけじゃないよ/みんなでいっしょに がんばっていこうよ/てをつないで さぁ みんなでけんこう そだてよう〉
再々発を告知されるとき、医師の涙を見た美緒は「周りの者も自分と同じようにつらいのだ」と知った。寿子はこのメッセージに心が震えた。
「『私が作った絵本です。読んでください』とでも書くのかなと思っていたんです。美緒ちゃんに裏切られた。自分の命の火がまさに消えようとしているときです。体は衰弱しています。それでも病気の子を励まそうとしている。どんなに大変な境遇にあっても、子どもは他者を喜ばせたいと願うのです」
受話器を持ちながら、「うそでしょ。ごめんなさい」
美緒が危篤になったのは6月1日だった。明美は翌日、寿子に電話をして「危険な状態になった」と伝えた。絵本の完成は3日の予定である。
すでに本は刷り上がり、倉庫で発送を待っているかもしれない。そう考えた寿子は、あちこちに電話を入れる。あいにく日曜日で、印刷会社は誰も電話に出ない。担当者の携帯電話もつながらなかった。途方に暮れていたとき、明美からまた電話があった。美緒の旅立ちを伝えていた。
寿子は受話器を持ちながら、「うそでしょ。ごめんなさい」と叫び、大声で泣いた。明美は静かに言った。
「出来あがるのを心待ちにして逝きました。むしろ幸せだったのかもしれません」
寿子は翌日、完成したばかりの絵本を持って美緒の自宅を訪ねた。布団には、物言わぬ少女が横になっていた。
「美緒ちゃん、ついにできたよ、あなたの絵本よ」
寿子は読んで聞かせた。
MAWJはこの絵本を全国の小児病院に寄贈した。
寿子は死を恐れなくなった理由の一つに、美緒の存在を挙げる。
「亡くなった後も、絵本は全国の子どもを励まし続けています。美緒ちゃんはまだ生きている。生と死は断絶していないと感じます」
