「メイク・ア・ウィッシュ・ジャパン オブ ジャパン」(MAWJ)の初代事務局長として、約3000人の難病の子どもたちの夢を叶えてきた大野寿子さん。そんな大野さんは、2024年6月、肝内胆管がんにより「余命1カ月」を宣告される。
そんな大野さんの最期の日々に密着した感涙のノンフィクション『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(文藝春秋)が好評発売中。
今回は本の中から、小学4年生で急性リンパ性白血病に冒された少女が、自作の絵本を完成させるという夢を叶えるまでの場面を抜粋して紹介する。
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症状がきつく、食べるのも難しい。見ているのがつらい
埼玉県に生まれた(清水)美緒は1999年、小学4年生のとき、急性リンパ性白血病と診断され、10月に県立小児医療センターに入院する。まだ9歳10カ月の子どもである。それでも医師は病名を伝えた。
抗がん剤治療で、一旦退院したものの6年生で再発する。骨髄移植を受けたのが2001年11月2日だった。
「保菌室に入って、ほとんど誰とも会えません。症状がきつく、食べるのも難しい。高熱が出て、もどすし、お腹は痛がる。見ているのがつらかった」
明美(美緒の母)は仕事を終えた午後に病院へ行き、保菌室で美緒と会った。MAWJの活動を知ったのはそんなときだった。
「病院にポスターが貼ってあり、『夢』という漢字が素敵だなと思った。そういえば娘の夢は何かなと」
明美の記憶では、ポスターの言葉は「君の夢をかなえる」だった。久しぶりに心が躍るような感覚に包まれ、保菌室に入るやいなや言った。
「夢をかなえてくれる人がいるらしいよ」
美緒の表情が輝いた。
「えっ、それ素敵。お母さん、電話して」
明美はすぐに事務局に電話を入れ、美緒が保菌室を出た02年1月、ボランティアの女性が病院に来てくれた。
MAWJのルールでは、本人から直接、夢を聞き取らなければならない。美緒は最初、ある女性アイドルに会いたいと言った。しかし、実現は難しかった。過去に同様の事例があり、断られていた。しばらく実現したい「夢」について考えることになった。
