記事を読んでみよう。「これまで政府は存立危機事態について具体例を示さず『総合的に判断する』と答弁してきた」。だが立憲民主党の岡田克也元幹事長の質問に首相は踏み込んだとある。注目は次だ。政府高官の言葉を載せている。
高市答弁は正論と言いながらも準備不足だと指摘
《具体的なケースは手の内を明かすようなものだから言っちゃだめだ》
さらに首相周辺の後悔として「首相が答弁で踏み込んでしまう癖があることを分かっていたのだから、事務方がもっと支えなければいけなかった」という言葉を載せていた。こ、これは本当に産経新聞なのか!? まだ続く。
《政府関係者の言葉から透けて見えるのは、政府内で準備を重ねて答弁したというよりは、国会論戦の売り言葉に買い言葉で本音を漏らしてしまったという実態だ。》
つまり、この産経記事は高市答弁は正論と言いながらも準備不足だと指摘していたのだ。
すると今度は安倍晋三氏の話が出てきた。「踏み込んだ答弁を行うことで、中国を抑止しようとした点では、安倍晋三元首相も同様だった」と書く。しかし安倍氏は中国に何か言いたいときは野党ではなく自民党の萩生田議員などに質問させ、それに答える形でメッセージを伝えたと振り返る。「答弁内容を政府内で十分検討した上で、満を持して国会審議に臨んだ」と。
記事の最後はこうだ。
《そうした姿勢こそが自衛隊最高指揮官たる首相のあるべき姿だとすれば、高市首相の答弁に危うさがあることは否定できない。》
あー、産経新聞が高市首相の答弁について「危うさがある」と書いている。これは事件だ。やはり今回の高市答弁はうかつな発言だったということか。産経が書いているからこそ重みが伝わる。しみじみした記事だった。
さて今回の「台湾有事」答弁を伝える新聞記事を読んでいると10年前の新聞紙面を思い出す。
10年前の2015年に何があったか。今回の答弁にも関連する安全保障関連法が成立した年だ。偶然だが私は新聞読み比べの本を書くために、2015年の「朝日」「読売」「毎日」の社説をすべて調べていた。社説の言葉遣いに各紙の個性がどう出るのか?という調査のためだ。
