北海道で1915年に発生した「三毛別ヒグマ事件」は、日本史上最悪の獣害事件として記録されている。死者7名(胎児1名を含む)、重傷者3名という甚大な被害をもたらしたこの惨劇は、凶暴化したヒグマの無差別攻撃により引き起こされた。当時の様子を、書籍『アーバン熊の脅威』(宝島社)のダイジェスト版よりお届けする。
「腹を破らんでくれ!」臨月の妊婦も容赦なく襲われた悲劇
事件は1915年12月、北海道の苫前村(現・苫前町)の三毛別川上流にある山間部の開拓農家で発生した。農作物を荒らすヒグマの被害が増加していたため、村ではマタギ2人を雇って警備にあたっていた。しかし12月9日、村の一軒がヒグマに襲われ、家主の内縁の妻と養子予定だった6歳の少年が犠牲となった。
少年は頭部に爪痕が残る即死状態で発見された。内縁の妻の遺体は屋外まで引きずり出され、翌日発見された際には脚の膝下部分と頭蓋の一部しか残されていなかった。
村民たちが遺体を持ち帰って通夜を行っていると、そこに再びヒグマが現れた。熊は「餌」となった遺体を取り返しに来たのだ。参列者たちは何とか逃げ切ったが、興奮したヒグマは村内を駆け回り、500メートル離れた民家に窓ガラスを破って侵入した。
混乱の中で囲炉裏の炎が消え、暗闇の中でヒグマは家にいた10人に次々と襲いかかった。その中には、臨月の妊婦・斉藤タケもいた。彼女は夫が駐在所へ知らせに行っている間、一時的にこの家に身を寄せていたのだ。タケはお腹の胎児を守ろうと「腹を破らんでくれ!」と叫んだが、むなしく腹を引き裂かれ、頭から食い殺されてしまった。村人が銃を持って駆けつけた時には、腹から引きずり出された胎児はわずかに動いていたものの、間もなく母親を追うように息絶えた。
