スパイ防止法へのこだわり
次に、監視や治安維持への過剰なこだわりである。維新との合意書のなかに「インテリジェンス・スパイ防止関連法制(基本法、外国代理人登録法及びロビー活動公開法等)について令和7年に検討を開始し、速やかに法案を策定し成立させる」とある。この法案には、自民党と維新のほか、国民民主党、参政党、日本保守党も賛成している。
40年前の1985年、中曽根康弘政権下、政界を引退していた岸信介が主導してスパイ防止法案が国会に提出された。岸と縁の深い統一教会とその関連団体の国際勝共連合も法案制定に向けて動いていた。防衛や外交に関する機密情報を外国に漏らした場合、死刑を含む重罰が規定されていたが、言論や報道の自由を侵すことへの強い警戒から反対の世論が高まり、全野党はもちろん、自民党内にも大島理森、村上誠一郎ら反対派がいて、廃案になったという経緯がある。
いま再びこの反動的な法案が俎上に載っているのを見て、不気味の感にとらわれる。「スパイ防止法」という戦前回帰的な呼称は極めて不穏当に響く。このような法案を制定しようとすること自体、政府のあり方、また政治家の姿勢として本末転倒ではないか。
つまり、国家は公文書や情報を同時代に公開して歴史に残す義務があり、国民は情報の開示を請求する「知る権利」がある。現代の日本でこれが満たされていないことは、たとえば森友文書開示をめぐる裁判とその過程に明らかである。篤実な国家公務員の痛ましい死まで生んだ権力者の不正を、公文書改竄、隠蔽によってなかったことにするような事態は民主主義国家にあってはならない。日本政府がまずなすべきは、国民を潜在的なスパイと見なすことではない。情報公開をめぐる現状を厳しい反省とともに見つめ直し、国民の「知る権利」に応えるべく自らを改めることである。
※本記事の全文(約9000字)は、月刊文藝春秋12月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(保阪正康「〈ついに最終回〉大衆よ、ファシズムに呑まれるな」)。 全文では、下記の内容をお読みいただけます。

