3億円事件の最大の謎のひとつは、いまなお「単独犯」か「複数犯」か、その点について結論が出ていないことである。

 この事件で、発生からしばらくして捜査を指揮することになった昭和の名刑事・平塚八兵衛は一貫して「単独犯説」を主張し、最後までその捜査方針を曲げなかった。しかし、清張はこの作品において、警視庁の公式見解であった「単独犯説」に真っ向から異論を唱えた格好になっている。

元警視庁捜査1課警視・平塚八兵衛 ©時事通信社

物事には必ず「隠された真実」がある

 実は、清張が平塚八兵衛の捜査に「もの言い」をつけるのはこれが初めてのことではない。

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 本書でも取り上げる『小説帝銀事件』(1959年発表)や『下山国鉄総裁謀殺論』(1960年発表)でも、やはり事件の捜査にかかわった平塚の筋読みとはまったく異なる「真相」を披露しており、「当局の見解とは異なる、隠された真実がそこにある」という、松本清張のこだわりの立ち位置が強く感じられる。

 清張が、いかに平塚八兵衛の推理や新聞報道の情報を疑っていたかを示す証言がある。

松本清張 ©文藝春秋

 時効成立直前の1975年11月、清張は気鋭の若手ジャーナリストとして売り出し中だった立花隆氏と『週刊文春』誌上で対談している。

 前年、立花氏は田中角栄の「金脈と人脈」をレポートし、角栄を退陣に追い込んだことで注目を集めていた。そこで清張は次のように語っている。

〈はじめ捜査当局は犯人複数説だったけど、途中から入ってきたベテラン刑事(注:平塚八兵衛のこと)が強引に単独犯説を唱えた。それで捜査の方針が単独犯説へと変ってしまった。単独犯じゃ、とてもつじつまに合わないところが多いんだけどね。あのとき犯人は非常にツイていたんだ。目撃者はいたけれど怪しまれていない。衝突事故もなかった。逆にいえばツイているということなしには犯行ができなかった。つまり非常に楽天的な犯人なんだね。犯行に自信をもって、実行の途中に障害が起るとは考えない性格だったんだと思う。〉

(『週刊文春』1975年11月20日号)

 物事には必ず「隠された真実」があり、世界は情報操作に満ちているという清張作品の「魔力」が感じられるコメントである。

次の記事に続く 「3億円事件」発生直後に19歳少年が自殺、父は白バイ隊員だった…昭和の国民的作家・松本清張が推理していた“新たな犯人像”とは

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