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銀行員ら12人が死亡した「帝銀事件」の容疑者が獄中で見せた最後の笑顔 撮影したカメラマンが語る死刑囚との一瞬の“連係プレー”とは

2022/12/30

 NHKスペシャル「シリーズ未解決事件」が2夜連続で放送される。題材は1948(昭和23)年に起きた「帝銀事件」。この事件の真相を追い続け、いくつかの作品を発表した推理作家・松本清張の視点を軸に、ドラマとドキュメンタリーの2本立てとなっている。

 74年前の事件を再検証したNHKが、どこまで「真相」に迫れるか見ものだが、本稿では事件の犯人とされ、1987年に獄中で死去した平沢貞通元死刑囚(享年95)の「写真」をめぐるサイド・ストーリーを紹介したい。

平沢貞通元死刑囚

 帝銀事件について、詳しい知識を持つ人は少なくなった。本編に入る前に、この事件を簡単におさらいしよう。

 東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店に「東京都防疫班」の腕章をした男が現れたのは、1948年1月26日、午後3時過ぎのことである。

「近くの家で集団赤痢が発生した。この予防薬を飲んでもらいたい」

 だが、男が差し出した「予防薬」は劇薬の青酸化合物だった。疑いを持たず薬を飲んでしまった行員ら11人はただちに死亡。搬送された病院でも1人が死亡した。男は現金約16万円と、約1万7000円の小切手を盗み現場から逃走した。

平沢冤罪説の論陣を張っていた松本清張

 事件から約7カ月後の8月21日、警視庁はテンペラ画家・平沢貞通(56歳)を北海道・小樽市で逮捕した。取り調べに対し、平沢は一時「犯行」を自白したものの、一審の公判以降は否認に転じ無罪を主張している。

帝銀事件では11人もの犠牲者が出た ©共同通信社

 7年後の1955年に平沢の死刑が確定。もっとも、事件をめぐる不可解な謎は残り、平沢の死刑は執行されなかった。

 死刑確定後も再審請求を続けた平沢であったが、1987年5月10日、八王子医療刑務所にて95歳で獄死した。逮捕から実に39年、死刑確定から32年もの間、獄中から無実を訴え続けた平沢は、死刑制度をめぐる存廃議論にも少なからぬ影響を与える存在だった。

 冒頭で触れたNHKスペシャルは帝銀事件を「未解決事件」として扱っているが、法的に言えばこの事件は解決している。あえて「未解決」としたのは、松本清張が平沢冤罪説の論陣を張っていたからであろう。