現金3億円(正確には2億9430万7500円)は、3個のジュラルミンケースに詰めて載せられていた。だまされたと気づいた行員はおよそ10分後に110番通報したが、逃げた男の行方は分からなかった。犯人は7年後の公訴時効までに特定されず、事件は迷宮入りとなったのである。

事件発生から7年、午前0時に特別捜査本部の看板をはずす井上金作警部補(東京・府中市の府中署) ©時事通信社

 3億円の貨幣価値は、現在に換算すると20億円以上とも言われる。この鮮やかな強奪劇の犯人を追いかけた警視庁は、捜査費9億7200万円、延べ17万1346人(捜査員が歩いた距離は地球約20周分の76万8150キロ)を動員する世紀の大捜査を繰り広げたが、捜査対象者11万7950人のなかから真犯人を見つけ出すことはできなかった。

 事件から数年が経過し、一時は沈静化していた関連の報道も時効が近づくにつれて再燃。時効成立までの半年間には、作家や元捜査員、ジャーナリストらによるさまざまな「犯人像」推理が発表された。清張の『小説 3億円事件』もまた、そうした「真相追究」ブームのなかで発表された作品である。

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現金輸送時にかけられていた運送保険

 前述のとおり、この作品はアメリカの保険会社に提出された、探偵事務所所長による事件の報告書という体裁となっている。

 実際の3億円事件において、運送保険がかけられていたのは事実である。輸送を開始するわずか5分前、日本信託銀行国分寺支店は、日本火災海上保険株式会社(当時)と電話で「現金輸送の運送保険」を契約している。保険料はわずか1万6000円だった。

 日本火災海上は国内20の損保会社と再保険の契約を結んでおり、20社はさらに、ロイドなど海外100の損保会社と再保険契約を交わしていた。これにより、奪われた3億円は海外の損保が負担したことになり、「誰も損をしなかった」事件として話題になった。ちなみに、ボーナスは他銀行の協力もあって、翌日に同額の現金が用意され、東芝府中工場の従業員に支給されている。

 日本信託銀行に保険金を支払った日本火災海上は、犯人に対する損害賠償請求権を保有することになったが、それも民法724条の規定により、事件から20年後の1988年12月10日に消滅している。

 作品のなかで紹介される報告書は、事件の「真犯人」について言及しているが、その結論の最大の特徴は「事件は複数犯による犯行だった」というものである。