「やっぱり、乳がんだった」
「やっぱり、乳がんだった。あんまり症例のない希少がんなんだって」
「ステージは3Aで、来週の金曜にどういった治療をするとか先生から話を聞くから」
百々果が私のLINEを見たのは、仕事の休憩中だった。
大泣きしてしまって、仕事どころではない。なんとか仕事を終えて帰宅した百々果は、私に電話を掛けてきた。
「ママ、明日にでも日本に帰る」
「いやいや、まだハッキリしてないこともいっぱいあるから。いろいろわかるまで、帰るのはもうちょっと待とうよ」
百々果が日本に帰ると言ってくれたのはものすごくうれしかったけど、そう思わせたこと、そう言わせてしまったことにものすごい罪悪感を抱いた。
百々果は20歳を超えていて、もう大人だ。しかも親元を離れて、サンノゼで働き、しっかりと自分の居場所を築いている。もちろん、百々果がそばにいてくれたら心強い。だからといって、日本に帰らせてしまっていいのか。親のエゴじゃないだろうか。
実際、百々果本人も帰国するかしないかで葛藤していた。
人生を変えたネグレクト疑惑報道
百々果はパパやママ、私のことは大好きだったが、なにかと「梅宮アンナの娘」や「梅宮辰夫の孫」として指を指されることが辛かったそうだ。なにかあるたびに週刊誌で騒がれるのもイヤでイヤでたまらなかったという。
とくに百々果がウンザリしたのが、私に対するネグレクト疑惑とバッシング。
百々果が小学校低学年のころ、私だけが4人で住んでいた実家を出た。パパとはぜんぜん仲が良かったが、衝突することも少なくなかった。私とパパはピリピリしても次の日にはなんとなく元通りになっているが、肉親がギャーギャーやり合っている姿は、幼い百々果に良くない影響を与えるんじゃないかと不安に思ったのが家を出たきっかけだった。
出ていったといっても、私が借りたのは実家から車で20分のマンション。百々果の習い事の送り迎えやバレーボールの応援にも行っていたし、夕飯もみんな揃って食べてそのまま一家団欒の時間を過ごしていた。借りたマンションには寝るために帰っていたようなもので、“実家と離れ”みたいな感覚だった。
おかげでパパと衝突することもなくなったし、仕事のワチャワチャを引きずって実家に帰ることもなくなった。ハッキリ言っていいことしかなかったが、2016年に大きな問題が起きてしまった。

