昨年8月、希少がんである乳がん“浸潤性小葉がん”のステージ3であることを公表した、梅宮アンナさん(53)。現在は、母のクラウディアさん(81)と、ときどき米国から帰国する娘の百々果さん(23)、そして今年5月に再婚した世継恭規さんと生活をともにしながら、治療と仕事を両立させている。

 今回は2019年に慢性腎不全のために亡くなった父・梅宮辰夫氏(享年81)と娘の百々果さんの幼少期のエピソードや透析を始めてからの関係、“最後のやり取り”について語っていただいた。(全3回の3回目/最初から読む

梅宮アンナさん

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祖父の死から5年、今度は母のがん宣告

 がんや病、人間の生死といったものを強く意識したであろうパパの死から5年後。今度は母親の私ががんになった。

 インターナショナルスクールを卒業した百々果は、アメリカに渡って州立大学やコミュニティカレッジ、不動産の専門学校に通ったのち、カリフォルニアのサンノゼで働いていた。

 胸の異変に気づいたとき、まっさきに相談したのは百々果だった。

 ママだと楽観的な見立てしかしないが、百々果はなにごとにも冷静に向き合える。それともうひとつ。百々果は胸のサイズが左右で1カップか2カップほど違うので、私と同じような状態なのか聞きたかったのもあった。

 LINEで胸の写真を送り、いろいろ訊ねてみた。

「ねえ、大変。こんなふうになっちゃったんだけど」

「ママ、それマズいよ。病院へ行ったほうがいい」

 そう言われて病院の検査を受けることを決意したおかげで、いまここに私がいる。

 LINEのやりとりで、百々果から「がんじゃないの?」とは言われてはいなかったが、内心「これはがんだろうな」と思っていたそうだ。なにかただ事ではないものを感じ取っていたらしい。

 私の胸になにが起きたのかググりまくった百々果だったが、合致するような症例は見つけられなかった。

 

検査結果は「がんである可能性が高い」

 検査結果を待っている2週間、毎日百々果から電話が掛かってきた。

「具合はどう? 大丈夫なの」

「大丈夫」

「おっぱい、下がったりしてきた?」

「こないだと一緒だよ」

 百々果はレストランの店長を任されていて、さすがに勤務中はスマホをさわれないし、さわる暇もない。10分ほどの休憩が来るたびに、私から届いているLINEをチェックしていた。

「たぶん、がん。でも、グレーゾーンだって」

 マンモグラフィーとエコーの検査結果は「がんである可能性が高い」。生検をすることになったが、結果が出るのはまた2週間後。

 日本にいたら私と一緒に結果を待つ余裕があるかもしれないが、たったひとりでサンノゼにいると細々とした話も聞けないのもあって不安が募る一方だった。