昨年8月、希少がんである乳がん“浸潤性小葉がん”のステージ3であることを公表した、梅宮アンナさん(53)。現在は、母のクラウディアさん(81)と、ときどき米国から帰国する娘の百々果さん(23)、そして今年5月に再婚した世継恭規さんと生活をともにしながら、治療と仕事を両立させている。

 今回は2019年に慢性腎不全のために亡くなった父・梅宮辰夫氏(享年81)と娘の百々果さんの幼少期のエピソードや透析を始めてからの関係、“最後のやり取り”について語っていただいた。(全3回の2回目/つづきを読む

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 百々果のそばに父親はいなかったけど、常にパパがいた。

「ぢっぢがいたから、“100%お父さんがいなかった”というわけではなかった」

 パパが亡くなったあとに家族で出たテレビ番組で、百々果はしみじみと語っていた。

 百々果にとってパパは祖父だけど父親でもあった。だからこそ、晩年のパパの変わりようにはショックを受けていた。でも、ひどく感情をかき乱しながらも、パパの姿からなにかを学んでいたのだと思う。

梅宮アンナさん

人工透析をきっかけに変わってしまったパパ

 パパが亡くなる1年半ほど前は、本当に元気だった。だけど、2019年に6度目のがんになる尿管がんが見つかって、尿管と一緒に腎臓を摘出して人工透析が必要になった。それをきっかけに、パパは変わってしまった。

 毎週金曜日になると、百々果を連れてパパとママのいる真鶴の別荘へ「生存確認」をしに行っていた。

 週3回、1回につき4時間。病院までは往復6時間。透析で自由に動けず、食生活も制限されたパパは、私たちの顔を見るや当たり散らすようになった。

 このとき、百々果は17歳だったが、好々爺のパパしか知らなかった。怒鳴られたこともなければ、叩かれたこともないから、ひどく動揺していた。

 

 だんだんとパパが抱えている辛さを理解してくれるようになったが、ある事件が起きた。

 真鶴にパパとママ、東京に私と百々果。ちょくちょく様子を見に行くのには距離がありすぎるので、乃木坂に4人一緒にいられる家を借りて、真鶴と東京の二拠点生活に切り替えた。